はら》も充分《じゆうぶん》になると、次《つぎ》に起《おこ》つて來《き》た問題《もんだい》は、一躰《いつたい》此《この》島《しま》は如何《いか》なる島《しま》だらう、見渡《みわた》す處《ところ》、隨分《ずいぶん》巨大《きよだい》な島《しま》の樣《やう》だが、世界輿地圖《せかいよちづ》の表面《ひやうめん》に現《あら》はれて居《を》るものであらうか、矢張《やはり》印度洋《インドやう》中《ちう》の孤島《ことう》だらうか、それともズツト東方《ひがし》に偏《へん》して、ボル子オ[#「ボル子オ」に二重傍線]群島《ぐんとう》の一つにでも屬《ぞく》して居《を》るのではあるまいか。氣※[#「候」の「ユ」に代えて「工」、135−12]《きかう》の工合《ぐあひ》や、草木《さうもく》の種類《しゆるい》などで觀《み》ると、亞弗利加《アフリカ》の沿岸《えんがん》にも近《ちか》い樣《やう》な氣持《きもち》もする。然《しか》し此樣《こん》な事《こと》は如何《いか》に考《かんが》へたとて分《わか》る筈《はづ》のものでない、それよりは此《この》島《しま》は元來《ぐわんらい》無人島《むじんとう》か、否《いな》かゞ一大《いちだい》問題《もんだい》だ、無人島《むじんとう》ならばそれ/\別《べつ》に覺悟《かくご》する處《ところ》もあるし、よし人《ひと》の住居《すまひ》して居《を》る島《しま》にしても、懼《おそ》る可《べ》き野蠻人《やばんじん》の巣窟《さうくつ》でゞもあればそれこそ一大事《いちだいじ》、早速《さつそく》遁出《にげだ》す工夫《くふう》を廻《めぐ》らさねばならぬ、それを知《し》るには兎《と》も角《かく》も此《この》島《しま》を一周《いつしう》して見《み》なければならぬと考《かんが》へたので、少年《せうねん》と手《て》を携《たづさ》へてそろ/\と歩《あゆ》み出《だ》した。島《しま》の一周《いつしう》といつて、此《この》島《しま》はどの位《くら》い廣《ひろ》いものやら、また道中《だうちう》に如何《いか》なる危險《きけん》があるかも分《わか》らぬが、此處《こゝ》に漠然《ぼんやり》として居《を》つて、島《しま》の素性《すじやう》も分《わか》らず氣味惡《きみわる》く一夜《いちや》を明《あか》すよりは勝《まし》だと考《かんが》へたので、之《これ》より足《あし》の續《つゞ》かん限《かぎ》り日《ひ》の暮《く》るゝ迄《まで》進《すゝ》んで見《み》る積《つも》りだ。
先《ま》づ進行《しんかう》の方向《ほうかう》を定《さだ》めねばと、吾等《われら》は林《はやし》の間《あひだ》を※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、136−12]《す》ぎて丘《をか》の絶頂《いたゞき》に登《のぼ》つた。眺望《てうぼう》すると、北《きた》の一方《いつぽう》は吾等《われら》が渡《わた》つて來《き》た大洋《たいやう》で、水天髣髴《すいてんほうふつ》として其《その》盡《つく》る所《ところ》を知《し》らず、眼下《がんか》に瞰《み》おろす海岸《かいがん》には、今《いま》乘捨《のりす》てゝ來《き》た端艇《たんてい》がゆらり/\と波《なみ》に揉《も》まれて、何時《いつ》の間《ま》に集《あつま》つて來《き》たか、海鳥《かいてう》の一簇《ひとむれ》が物珍《ものめづ》らし相《さう》に其《その》周圍《めぐり》を飛廻《とびまわ》つて居《を》る。東《ひがし》と西《にし》と南《みなみ》の三方《さんぽう》は此《この》島《しま》の全面《ぜんめん》で、見渡《みわた》す限《かぎ》り青々《あを/\》とした森《もり》つゞき、處々《ところ/″\》に山《やま》もある、谷《たに》も見《み》える、また※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1−92−55]《はる》か/\の先方《むかう》に銀色《ぎんしよく》の一帶《いつたい》の隱見《いんけん》して居《を》るのは、其邊《そのへん》に一流《いちりう》の河《かは》のある事《こと》が分《わか》る。
私《わたくし》は此《この》光景《くわうけい》を見《み》て實《じつ》に失望《しつばう》した、見渡《みわた》した所《ところ》此《この》島《しま》の模樣《もやう》は疑《うたがひ》もなき無人島《むじんとう》! かく全島《ぜんたう》が山《やま》と、森《もり》と、谷《たに》とで蔽《おほ》はれて居《を》つては、今更《いまさら》何處《どこ》へと方向《ほうがく》を定《さだ》める事《こと》も出來《でき》ぬのである、之《これ》からあんな深山幽谷《しんざんいうこく》に進入《しんにふ》するのは、却《かへつ》て危險《きけん》を招《まね》くやうなものだから、島《しま》の探險《たんけん》は一先《ひとま》づ中止《ちうし》して、兎《と》も角《かく》も再《ふたゝ》び海岸《かいがん》に皈《かへ》らんと踵《きびす》を廻《めぐ》らす途端《とたん》、日出雄少年《ひでをせうねん》は急《きふ》に歩《あゆみ》を停《とゞ》めて
『あら、あの音《おと》は?。』と眼《め》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つた。
『音《おと》?。』と私《わたくし》も思《おも》はず立止《たちどま》つて耳《みゝ》を濟《すま》すと、風《かぜ》が傳《も》て來《く》る一種《いつしゆ》の響《ひゞき》。全《まつた》く無人島《むじんたう》と思《おも》ひきや、何處《いづく》ともなく、トン、トン、カン、カン、と恰《あだか》も谷《たに》の底《そこ》の底《そこ》で、鐵《てつ》と鐵《てつ》とが戞合《かちあ》つて居《を》るやうな響《ひゞき》。
『鐵槌《てつつい》の音《おと》!。』と私《わたくし》は小首《こくび》を傾《かたむ》けた。此樣《こん》な孤島《はなれしま》に鍛冶屋《かぢや》などのあらう筈《はづ》はない、一時《いちじ》は心《こゝろ》の迷《まよひ》かと思《おも》つたが、决《けつ》して心《こゝろ》の迷《まよひ》ではなく、寂莫《じやくばく》たる空《そら》にひゞひて、トン、カン、トン、カンと物凄《ものすご》い最早《もはや》疑《うたが》はれぬ。けれど私《わたくし》は心付《こゝろつ》くと、響《ひゞき》の源《みなもと》は决《けつ》して近《ちか》い所《ところ》ではなく、四邊《あたり》がシーンとして居《を》るので斯《か》く鮮《あざや》かに聽《きこ》えるものゝ、少《すくな》くも三四|哩《マイル》の距離《へだゝり》は有《あ》るだらう、何《なに》は兎《か》もあれ斯《かゝ》る物音《ものおと》の聽《きこ》ゆる以上《いじやう》は、其處《そこ》に何者《なにもの》かゞ居《を》るに相違《さうゐ》ない、人《ひと》か、魔性《ましやう》か、其樣《そん》な事《こと》は考《かんが》へて居《を》[#ルビの「を」は底本では「をら」]られぬ、兎《と》に角《かく》探險《たんけん》と覺悟《かくご》したので、そろ/\と丘《をか》を下《くだ》つた。丘《をか》を下《くだ》つて耳《みゝ》を澄《すま》すと、響《ひゞき》は何《な》んでも、島《しま》の西南《せいなん》に當《あた》つて一個《ひとつ》の巨大《おほき》な岬《みさき》がある、其《その》岬《みさき》を越《こ》えての彼方《かなた》らしい。
いよ/\探險《たんけん》とは决心《けつしん》したものゝ、實《じつ》は薄《うす》氣味惡《きみわる》い事《こと》で、一體《いつたい》物音《ものおと》の主《ぬし》も分《わか》らず、また行《ゆ》く道《みち》にはどんな災難《さいなん》が生《しやう》ずるかも分《わか》らぬので、私《わたくし》は萬一《まんいち》の塲合《ばあひ》を慮《おもんぱか》つて、例《れい》の端艇《たんてい》をば波打際《なみうちぎわ》にシカと繋止《つなぎと》め、何時《いつ》危險《きけん》に遭遇《さうぐう》して遁《に》げて來《き》ても、一見《いつけん》して其《その》所在《しよざい》が分《わか》るやうに、其處《そこ》には私《わたくし》の白《しろ》シヤツを裂《さ》いて目標《めじるし》を立《た》て、勢《いきほひ》を込《こ》めて少年《せうねん》と共《とも》に發足《ほつそく》した。
海岸《かいがん》に沿《そ》ふて行《ゆ》く事《こと》七八|町《ちやう》、岩層《がんそう》の小高《こだか》い丘《をか》がある、其《その》丘《をか》を越《こ》ゆると、今迄《いまゝで》見《み》えた海《うみ》の景色《けしき》も全《まつた》く見《み》えずなつて、波《なみ》の音《おと》も次第《しだい》/\に遠《とう》く/\。
此時《このとき》少年《せうねん》は餘程《よほど》疲勞《つか》れて見《み》えるので、私《わたくし》は肩車《かたぐるま》に乘《の》せて進《すゝ》んだ。誰《だれ》でも左樣《さう》だが、餘《あま》りにシーンとした處《ところ》では、自分《じぶん》の足音《あしおと》さへ物凄《ものすご》い程《ほど》で、とても談話《はなし》などの出來《でき》るものでない。斯《かゝ》る島《しま》の事《こと》とて、路《みち》などのあらう筈《はづ》はなく、熊笹《くまざゝ》の間《あひだ》を掻分《かきわ》けたり、幾百千年《いくひやくせんねん》來《らい》積《つも》り積《つも》つて、恰《あだか》も小山《こやま》のやうになつて居《を》る落葉《おちば》の上《うへ》を踏《ふ》んだり、また南半球《みなみはんきゆう》に特有《とくいう》の黄乳樹《わうにうじゆ》とて、稍《こずえ》にのみ一團《いちだん》の葉《は》があつて、幹《みき》は丁度《ちやうど》天幕《てんまく》の柱《はしら》のやうに、數百間《すうひやくけん》四方《しほう》規則正《きそくたゞ》しく並《なら》んで居《を》る奇妙《きめう》な林《はやし》の下《した》を※[#「穴かんむり/兪」、第4水準2−83−17]《くゞ》つたりして、道《みち》の一里半《いちりはん》も歩《あゆ》んだと思《おも》ふ頃《ころ》、一個《いつこ》の泉《いづみ》の傍《そば》へ來《き》た。清《きよ》らかな水《みづ》が滾々《こん/\》と泉《いづ》み流《なが》れて、其邊《そのへん》の草木《くさき》の色《いろ》さへ一段《いちだん》と麗《うる》はしい、此處《こゝ》で一休憩《ひとやすみ》と腰《こし》をおろしたのは、かれこれ午後《ごゝ》の五|時《じ》近《ちか》く、不思議《ふしぎ》なる響《ひゞき》は漸《やうや》く近《ちか》くなつた。
日出雄少年《ひでをせうねん》は、其《その》泉《いづみ》の流《ながれ》に美麗《びれい》なる小魚《こざかな》を見出《みいだ》したとて、魚《うを》を追《お》ふに餘念《よねん》なき間《あひだ》、私《わたくし》は唯《と》ある大樹《たいじゆ》の蔭《かげ》に横《よこたは》つたが、いつか睡魔《すいま》に襲《おそ》はれて、夢《ゆめ》となく現《うつゝ》となく、いろ/\の想《おもひ》に包《つゝ》まれて居《を》る時《とき》、不意《ふい》に少年《せうねん》は私《わたくし》の膝《ひざ》に飛皈《とびかへ》つた。『大變《たいへん》よ/\、叔父《おぢ》さん、猛獸《まうじう》が/\。』と私《わたくし》の肩《かた》に手《て》を掛《か》けて搖《ゆ》り醒《さま》す。
『猛獸《まうじう》がツ。』と私《わたくし》は夢《ゆめ》から飛起《とびを》きた。
少年《せうねん》の指《ゆびさ》す方《かた》を眺《なが》めると如何《いか》にも大變《たいへん》! 先刻《せんこく》吾等《われら》の通※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、141−6]《つうくわ》して來《き》た黄乳樹《わうにうじゆ》の林《はやし》の中《あひだ》より、一頭《いつとう》の猛獸《まうじう》が勢《いきほい》鋭《するど》く現《あら》はれて來《き》たのである。
『猛狒《ゴリラ》!。』と私《わたくし》の身《み》の毛《け》は一時《いちじ》に彌立《よだ》つたよ。
世《よ》に獅子《しゝ》が猛烈《まうれつ》だの、狼《おほかみ》が兇惡《きようあく》だのといつて、此《この》猛狒《ゴリラ》ほど恐《おそ》ろしい動物《どうぶつ》はまたとあるまい、動物園《どうぶつゑん》の鐵《てつ》の檻《おり》の中《なか》に居《を》る姿《すがた》でも、一見《いつけん》して戰慄《せんりつ》する程《ほど》の兇相《あくさう》、それが此《この》深林《しんりん》の中《なか》で襲來《しふらい》
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