碎《うちくだ》いて、粉《こ》にして飮《の》まんかとまで、馬鹿《ばか》な考《かんがへ》も起《おこ》つた程《ほど》で、遂《つひ》に日《ひ》は暮《く》れ、船底《ふなぞこ》を枕《まくら》に横《よこたは》つたが、其《その》夜《よ》は空腹《くうふく》の爲《ため》に終夜《しうや》眠《ねむ》る事《こと》が出來《でき》なかつた。
苦《くる》しき夜《よ》は明《あ》けて、太陽《たいよう》はまたもや現《あら》はれて來《き》たが、私《わたくし》は最早《もはや》起直《おきなを》つて朝日《あさひ》の光《ひかり》を拜《はい》する勇氣《ゆうき》も無《な》い、日出雄少年《ひでをせうねん》は先刻《せんこく》より半身《はんしん》を擡《もた》げて、海上《かいじやう》を眺《なが》めて居《を》つたが、此時《このとき》忽《たちま》ち大聲《たいせい》に叫《さけ》んだ。
『巨大《おほき》な魚《さかな》が! 巨大《おほき》な魚《さかな》が!』
第十回 沙魚《ふか》の水葬《すゐさう》
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天の賜――反對潮流――私は黒奴、少年は炭團屋の忰――おや/\變な味になりました――またも斷食
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少年《せうねん》の聲《こゑ》に飛起《とびお》き海上《かいじやう》を眺《なが》めた私《わたくし》は叫《さけ》んだ。
『沙魚《ふか》の領海《りようかい》! 沙魚《ふか》の領海《りようかい》!』
沙魚《ふか》の領海《りようかい》とは隨分《ずゐぶん》奇妙《きめう》な名稱《めいしやう》だが、實際《じつさい》印度洋《インドやう》中《ちう》マルダイブ[#「マルダイブ」に二重傍線]群島《ぐんとう》から數千里《すせんり》南方《なんほう》に當《あた》つて、斯《かゝ》る塲所《ばしよ》のあるといふ事《こと》は、甞《かつ》て或《ある》地理書《ちりしよ》で讀《よ》んだ事《こと》があるが、今《いま》、吾等《われら》の目撃《もくげき》したのは確《たし》かにそれだ。小《せう》は四五|尺《しやく》より大《だい》は二三|丈《じよう》位《ぐら》いの數※[#「一/力」、124−5]《すうまん》の沙魚《ふか》が、群《ぐん》をなして我《わが》端艇《たんてい》の周圍《まわり》に押寄《おしよ》せて來《き》たのである。此《この》魚族《ぎよぞく》は、極《きわ》めて性質《せいしつ》の猛惡《まうあく》なもので、一時《いちじ》に斯《か》く押寄《おしよ》せて來《き》たのは、疑《うたがひ》もなく、吾等《われら》を好《よ》き餌物《えもの》と認《みと》めたのであらう。私《わたくし》も其《その》群《ぐん》を見《み》て忽《たちま》ち野心《やしん》が[#「野心《やしん》が」は底本では「野心《やしん》か」]起《おこ》つた。今《いま》かく空腹《くうふく》を感《かん》じて居《を》る塲合《ばあひ》に、あの魚《さかな》を一|尾《び》捕《とら》へたらどんなに嬉《うれ》しからうと考《かんが》へたが、網《あみ》も釣道具《つりどうぐ》も無《な》き身《み》のたゞ心《こゝろ》を焦《いらだ》つばかりである。此時《このとき》不意《ふい》に、波間《なみま》から跳《をど》つて、艇中《ていちう》に飛込《とびこ》んだ一尾《いつぴき》の小魚《こざかな》、日出雄少年《ひでをせうねん》は小猫《こねこ》の如《ごと》く身《み》を飜《ひるがへ》して、捕《と》つて押《おさ》へた。『に、逃《にが》しては。』と私《わたくし》も周章《あは》てゝ、其《その》上《うへ》に轉《まろ》びかゝつた。此時《このとき》の嬉《うれ》しさ! 見《み》ると一|尺《しやく》位《ぐら》いの鰺《あぢ》で、巨大《きよだい》なる魚群《ぎよぐん》[#ルビの「ぎよぐん」は底本では「ぎよぐく」]に追《お》はれた爲《ため》[#ルビの「ため」は底本では「た」]に、偶然《ぐうぜん》にも艇中《ていちう》に飛込《とびこ》んだのである。天《てん》の賜《たまもの》と私《わたくし》は急《いそ》ぎ取上《とりあ》げた。實《じつ》は、少年《せうねん》と共《とも》に、只《たゞ》一口《ひとくち》に、堪難《たえがた》き空腹《くうふく》を滿《みた》したきは山々《やま/\》だが、待《ま》てよ、今《いま》此《この》小《ちい》さい魚《うを》を、周章《あは》てゝ平《たいら》げたとて何《なに》になる、農夫《のうふ》は如何《いか》に飢《うゑ》ても、一合《いちごう》の麥《むぎ》[#ルビの「むぎ」は底本では「むき」]を食《く》はずに地《ち》に播《ま》いて一年《いちねん》の策《はかりごと》をする、私《わたくし》も此《この》小《ちい》さい魚《うを》を百|倍《ばい》にも二百倍《にひやくばい》にもする工夫《くふう》の無《な》いでもない、よし此《この》小鰺《こあぢ》で、あの巨大《おほき》な沙魚《ふか》を釣《つ》つてやらうと考《かんが》へたので、少年《せうねん》に語《かた》ると少年《せうねん》も大賛成《だいさんせい》、勿論《もちろん》釣道具《つりどうぐ》は無《な》いが、幸《さひわひ》にも艇中《ていちう》には端艇《たんてい》を本船《ほんせん》に引揚《ひきあ》げる時《とき》に使用《しよう》する堅固《けんご》なる鐵鎖《てつぐさり》と、それに附屬《ふぞく》して鉤形《つりばりがた》の「Hook《フツク》」が殘《のこ》つて居《を》つたので、それを外《はづ》して、鉤《フツク》に只今《たゞゐま》の小鰺《こあぢ》を貫《つらぬ》いてやをら立上《たちあが》つた。天涯《てんがい》渺茫《べうぼう》たる絶海《ぜつかい》の魚族《ぎよぞく》は、漁夫《ぎよふ》の影《かげ》などは見《み》た事《こと》もないから、釣《つ》れるとか釣《つ》れぬとかの心配《しんぱい》は入《い》らぬ、けれど餘《あま》りに巨大《きよだい》なるは、端艇《たんてい》を覆《くつが》へす懼《おそれ》があるので今《いま》しも右舷《うげん》間近《まぢか》に泳《およ》いで來《き》た三四|尺《しやく》の沙魚《ふか》、『此奴《こいつ》を。』と投込《なげこ》む餌《え》の浪《なみ》に沈《しづ》むか沈《しづ》まぬに、私《わたくし》は『やツ。しまつた。』と絶叫《ぜつけう》したよ。海中《かいちう》の魚族《ぎよぞく》にも、優勝劣敗《ゆうしやうれつぱい》の數《すう》は免《まぬ》かれぬと見《み》へ、今《いま》小《ちいさ》い沙魚《ふか》の泳《およ》いで[#「泳《およ》いで」は底本では「泳《およ》いて」]居《を》つた波《なみ》の底《そこ》には、驚《おどろ》く可《べ》き巨大《きよだい》の一|尾《び》が居《を》りて、稻妻《いなづま》の如《ごと》く躰《たい》を跳《をど》らして、只《たゞ》一|口《くち》に私《わたくし》の釣《つり》ばりを呑《の》んでしまつたのだ。忽《たちま》ち、潮《うしほ》は泡立《あわだ》ち、波《なみ》は逆卷《さかま》いて、其邊《そのへん》海嘯《つなみ》の寄《よ》せた樣《やう》な光景《くわうけい》、私《わたくし》は一生懸命《いつせうけんめい》に鐵鎖《てつさ》を握《にぎ》り詰《つ》めて、此處《こゝ》千番《せんばん》に一番《いちばん》と氣《き》を揉《も》んだ。もとより斯《かゝ》る巨魚《きよぎよ》の暴《あ》れ狂《くる》ふ事《こと》とてとても、引上《ひきあ》げる[#「引上《ひきあ》げる」は底本では「引上《ひきあ》ける」]どころの騷《さわぎ》でない、※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、126−10]《あやま》てば端艇《たんてい》諸共《もろとも》海底《かいてい》に引込《ひきこ》まれんず有樣《ありさま》、けれど此時《このとき》此《この》鐵鎖《くさり》が如何《どう》して放《はな》たれやうぞ、沙魚《ふか》が勝《か》つか、私《わたくし》が負《ま》けるか、釣《つ》れると釣《つ》れぬは生死《せいし》の分《わか》れ目《め》、日出雄少年《ひでをせうねん》は眼《め》をまんまるにして、此《この》凄《すさ》まじき光景《くわうけい》を眺《なが》めて居《を》つたが、可憐《かれん》の姿《すがた》は後《うしろ》から私《わたくし》を抱《いだ》き
『オヽ、危《あぶな》い事《こと》! 危《あぶな》い事《こと》!。』と叫《さけ》ぶ。
『なに、なに、大丈夫《だいじようぶ》! 大丈夫《だいじようぶ》!。』と私《わたくし》は眞赤《まつか》になつて仁王《にわう》の如《ごと》く屹立《つゝた》つた。兎角《とかく》する間《ま》に今迄《いまゝで》は、其邊《そのへん》を縱横《じゆうわう》に暴廻《あれまわ》つて居《を》つた沙魚《ふか》は、其《その》氣味惡《きみわる》き頭《かしら》を南方《みなみのかた》に向《む》けて、恰《あだか》も矢《や》を射《ゐ》るやうに駛《かけ》り出《だ》した。端艇《たんてい》も共《とも》に曳《ひ》かれて、疾風《しつぷう》のやうに駛《はし》るのである。私《わたくし》はいよ/\必死《ひつし》だ。
『さあ、斯《か》うなつたら逃《にが》す事《こと》でないぞ。』と最早《もはや》腹《はら》の空《むな》しい事《こと》も、命《いのち》の危險《あぶない》な事《こと》も、悉皆《すつかり》忘《わす》れてしまつた。兎角《とかく》して約《およそ》三|時間《じかん》ばかりは、狂《くる》ひ走《はし》る沙魚《ふか》のために曳《ひ》かれて、いつしか潮《うしほ》の流《ながれ》をも脱《だつ》し、沙魚《ふか》の領海《りようかい》からはすでに十四五|海里《かいり》も距《へだた》つたと思《おも》ふ頃《ころ》、流石《さすが》に猛惡《まうあく》なる魚《うを》も遂《つひ》に疲勞《つか》れ斃《たを》れて、其《その》眞白《ましろ》なる腹部《はら》を逆《さかさま》に海面《かいめん》に泛《うか》んだ。ほつと一息《ひといき》、引上《ひきあ》げて見《み》ると、思《おも》つたより巨大《おほき》な魚《うを》で、殆《ほと》んど端艇《たんてい》の二分《にぶん》の一《いち》を塞《ふさ》いでしまつた。
『まあ、醜《みにく》い魚《さかな》です事《こと》。』と少年《せうねん》は氣味惡《きみわる》相《さう》に、其《その》堅固《けんご》なる魚頭《かしら》を叩《たゝ》いて見《み》た。
『はゝゝゝゝ。酷《ひど》い目《め》に逢《あ》つたよ。然《しか》しこれで當分《たうぶん》餓死《うゑじに》する氣遣《きづかひ》はない。』と私《わたくし》は直《たゞ》ちに小刀《ナイフ》を取出《とりだ》した。勿論《もちろん》沙魚《ふか》といふ魚《さかな》は左程《さほど》美味《びみ》なものではないが、此《この》塲合《ばあひ》にはいくら[#「いくら」に傍点]喰《く》つても喰足《くひた》らぬ心地《こゝち》。
『日出雄《ひでを》さん、餘《あんま》りやると胃《ゐ》を損《そん》じますよ。』と氣遣《きづかひ》顏《がほ》の私《わたくし》さへ、其《その》生臭《なまくさ》い肉《にく》を口中《こうちう》充滿《いつぱい》に頬張《ほうば》つて居《を》つたのである。
此《この》大漁獲《だいりよう》があつたので、明日《あす》からは餓死《うゑじに》の心配《しんぱい》はないと思《おも》ふと、人間《にんげん》は正直《せうじき》なもので、其《その》夜《よ》の夢《ゆめ》はいと安《やす》く、朝《あさ》の寢醒《ねざめ》も何時《いつ》になく胸《むね》穩《おだやか》であつた。
其《その》翌日《よくじつ》は、漂流《へうりう》以來《いらい》はじめて少《すこ》し心《こゝろ》が落付《おちつ》いて、例《れい》の雨水《あめみづ》を飮《の》み、沙魚《ふか》の肉《にく》に舌皷《したつゞみ》打《う》ちつゝ、島影《しまかげ》は無《な》きか、※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]船《きせん》の煙《けむり》は見《み》へぬかと始終《しじう》氣《き》を配《くば》る、けれど此《この》日《ひ》は何物《なにもの》も眼《まなこ》を遮《さへぎ》るものとてはなく、其《その》翌日《よくじつ》も、空《むな》しく蒼渺《さうびやう》たる大海原《おほうなばら》の表面《ひやうめん》を眺《なが》むるばかりで、たゞ我《わが》端艇《たんてい》は沙魚《ふか》の爲《ため》に前《まへ》の潮流《てうりう》を引出《ひきい》だされ、今《いま》は却《かへつ》て反對流《はんたいりう》とて、今度《こん
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