陽《たいよう》は雲間《くもま》を洩《も》れて赫々《かく/\》たる光《ひかり》を射出《いゝだ》した。
日出雄少年《ひでをせうねん》は頑是《ぐわんぜ》なき少年《せうねん》の常《つね》とてかゝる境遇《きやうぐう》に落《お》ちても、昨夜《さくや》以來《いらい》の疲勞《つかれ》には堪兼《たへか》ねて、私《わたくし》の膝《ひざ》に凭《もた》れた儘《まゝ》、スヤ/\と眠《ねむ》りかけたが、忽《たちま》ち可憐《かれん》の唇《くちびる》を洩《も》れて夢《ゆめ》の聲《こゑ》
『あゝ、おつかさん/\、貴女《あなた》は私《わたくし》を捨《す》てゝ何處《どこ》へいらつしやるの――オ、オ、子ープルス[#「子ープルス」に二重傍線]の街《まち》と富士山《ふじさん》との間《あひだ》に、ま、ま、奇麗《きれい》な橋《はし》が――オヤ、おとつさんが私《わたくし》の名《な》を呼《よ》んでいらつしやるよ。』と少年《せうねん》は、今《いま》は夢《ゆめ》の間《ま》、懷《なつ》かしき父君《ちゝぎみ》母君《はゝぎみ》に出逢《であ》つて居《を》るのである。
あゝ、彼《かれ》が最愛《さいあい》の父《ちゝ》濱島武文《はまじまたけぶみ》は、遙《はるか》なる子ープルス[#「子ープルス」に二重傍線]で、今《いま》は如何《いか》なる夢《ゆめ》を結《むす》んで居《を》るだらう、少年《せうねん》が夢《ゆめ》にもかく戀《こ》ひ慕《した》ふ母君《はゝぎみ》の春枝夫人《はるえふじん》は、昨夜《さくや》海《うみ》に落《お》ちて、遂《つひ》に其《その》行方《ゆくかた》を失《うしな》つたが、若《も》し天《てん》に非常《ひじやう》の惠《めぐみ》があるならば萬《まん》に一つ無事《ぶじ》に救《すく》はれぬとも限《かぎ》らぬが、其儘《そのまゝ》海《うみ》の藻屑《もくづ》と消《き》えて、其《その》魂《たましひ》が天《てん》に歸《かへ》つたものならば、此後《このゝち》吾等《われら》は運命《うんめい》よく無事《ぶじ》に助《たす》かる事《こと》があらうとも、日出雄少年《ひでをせうねん》は夢《ゆめ》の他《ほか》は、またと懷《なつ》かしき母君《はゝぎみ》の顏《かほ》を見《み》る事《こと》が出來《でき》ぬであらう、斯《か》う考《かんが》へると、私《わたくし》は無限《むげん》に哀《かな》しくなつて、はふり落《お》つる涙《なみだ》が日出雄少年《ひでをせうねん》の顏《かほ》にかゝると、少年《せうねん》は愕《おどろ》いて目《め》を醒《さま》した。私《わたくし》の涙《なみだ》に曇《くも》る顏《かほ》を見《み》て
『あら、叔父《おぢ》さんは如何《どう》かして。』
私《わたくし》はハツと心付《こゝろづ》いたので、態《わざ》と大聲《おほごゑ》に笑《わら》つて
『なに、日出雄《ひでを》さんが眠《ねむ》つてしまつて、餘《あま》り淋《さび》しいもんだから、大《おほ》きな欠伸《あくび》をしたんだよ。』
少年《せうねん》は瞼《まぶた》をこすりつゝ、悄然《しようぜん》と艇《てい》の中《なか》を見廻《みまわ》した。誰《たれ》でも左樣《さう》だが非常《ひじやう》な變動《へんどう》の後《あと》、暫時《しばし》夢《ゆめ》に落《お》ちて、再《ふたゝ》び醒《めざ》めた時《とき》程《ほど》、心淋《こゝろさび》しいものはないのである。少年《せうねん》齡《よわひ》漸《やうや》く八|歳《さい》、此《この》悲境《ひきよう》に落《お》ちて、回顧《くわいこ》してあの優《やさ》しかりし母君《はゝぎみ》の姿《すがた》や、ネープルス[#「ネープルス」に二重傍線]で別《わか》れた父君《ちゝぎみ》の事《こと》などを懷《おも》ひ浮《うか》べた時《とき》は、まあどんなに悲《かな》しかつたらう、今《いま》、一片《いつぺん》のパンも一塊《いつくわい》の肉《にく》もなき此《この》みじめな[#「みじめな」に傍点]艇中《ていちう》を見廻《みまわ》して、再《ふたゝ》び[#「再《ふたゝ》び」は底本では「再《ふたゝ》ひ」]私《わたくし》の顏《かほ》を眺《なが》めた姿《すがた》は、不憫《ふびん》とも何《なん》とも言《い》はれなかつた。
懷中時計《くわいちうどけい》は海水《かいすい》に濡《ひた》されて、最早《もはや》物《もの》の用《よう》には足《た》らぬが、時《とき》は午前《ごぜん》の十|時《じ》と十一|時《じ》との間《あひだ》であらう、此時《このとき》不圖《ふと》心付《こゝろづ》くと、今迄《いままで》は、たゞ浪《なみ》のまに/\漂《たゞよ》つて居《を》るとのみ思《おも》つて居《を》つた端艇《たんてい》が、不思議《ふしぎ》にも矢《や》のやうな速力《そくりよく》で、東北《とうほく》の方《ほう》から西南《せいなん》の方《ほう》へと流《なが》れて居《を》るのであつた。([#ここから割り注]磁石は無いが方角は太陽の位置で分る[#ここで割り注終わり])私《わたくし》は一時《いちじ》は喫驚《びつくり》したが、よく考《かんが》へると、これは何《なに》も不思議《ふしぎ》でない、今迄《いまゝで》それと心付《こゝろつ》かなかつたのは、縹渺《へうべう》たる大洋《たいやう》の面《めん》で、島《しま》とか舟《ふね》とか比《くら》べて見《み》る物《もの》がなかつたからで、これはよく有《あ》る事《こと》だ。して見《み》ると、我《わ》が端艇《たんてい》は、何時《いつ》の間《ま》にか印度洋《インドやう》で名高《なだか》い大潮流《だいてうりう》に引込《ひきこ》まれたのであらう。私《わたくし》は何《なん》となく望《のぞみ》のある樣《やう》に感《かん》じて來《き》たよ。思《おも》ふに此《この》潮流《てうりう》はラツカデヴ[#「ラツカデヴ」に二重傍線]群島《ぐんたう》の方面《ほうめん》から、印度大陸《インドたいりく》の西岸《せいがん》を※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、120−2]《す》ぎて、マダカツスル[#「マダカツスル」に二重傍線]諸島《しよたう》の附近《ふきん》より、亞弗利加《アフリカ》の南岸《なんがん》に向《むか》つて流《なが》れて行《ゆ》くものに相違《さうゐ》ない、すると其間《そのあひだ》には※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]船《きせん》に見出《みいだ》されるとか、何國《いづく》かの貿易港《みなと》へ漂着《へうちやく》するとか、兎角《とかく》して救助《きゆうじよ》を得《え》られぬ事《こと》もあるまいと考《かんが》へたのである。然《しか》し、世《よ》の中《なか》の萬事《ばんじ》は左樣《さう》幸運《うま》く行《ゆ》くかどうだか。此《この》潮流《てうりう》の指《さ》して行《ゆ》く、亞弗利加《アフリカ》の沿岸《えんがん》及《およ》び南太平洋《みなみたいへいやう》邊《へん》には、隨分《ずいぶん》危險《きけん》な所《ところ》が澤山《たくさん》ある、却《かへつ》て食人國《しよくじんこく》とか、海賊島《かいぞくたう》の方《ほう》へでも押流《おしなが》されて行《い》つたら、夫《それ》こそ大變《たいへん》! 然《しか》し、何《なん》と考《かんが》へたからとて奈何《どう》なるものか。たゞ天命《てんめい》! 天命《てんめい》!
此時《このとき》今迄《いまゝで》は晴朗《うらゝか》であつた大空《おほぞら》[#ルビの「おほぞら」は底本では「おほそら」]は、見《み》る/\内《うち》に西《にし》の方《かた》から曇《くも》つて來《き》て、熱帶地方《ねつたいちほう》で有名《いうめい》な驟雨《にわかあめ》が、車軸《しやぢく》を流《なが》すやうに降《ふ》つて來《き》た。海《うみ》の面《おもて》は瀧壺《たきつぼ》のやうに泡立《あわだ》つて、酷《ひど》いも酷《ひど》くないも、私《わたくし》と少年《せうねん》とは、頭《あたま》を抱《かゝ》へて、艇《てい》の底《そこ》へ踞《うづくま》つてしまつたが、其爲《そのため》に、昨夜《さくや》海水《かいすい》に浸《ひた》されて、今《いま》漸《やうや》く乾《かわ》きかけて居《を》つた衣服《きもの》は、再《ふたゝ》びびつしより[#「びつしより」に傍点]と濡《ぬ》れてしまつた。あゝ天《てん》は何《なん》とて斯《か》く迄《まで》無情《むじやう》なると、私《わたくし》は暫時《しばし》眞黒《まつくろ》な雲《くも》を睨《にら》んで、只更《ひたすら》怨《うら》んだが、然《しか》し後《のち》に考《かんが》へると、世《よ》の中《なか》の萬事《ばんじ》は何《なに》が禍《わざわひ》となり、何《なに》が幸福《こうふく》となるか、其時《そのとき》ばかりでは分《わか》らぬのである。
此《この》驟雨《にわかあめ》があつたばかりに、其後《そのゝち》深《ふか》く天《てん》の恩惠《おんけい》を感謝《かんしや》する時《とき》が來《き》た。
頓《やが》て雨《あめ》が全《まつた》く霽《は》れると共《とも》に、今度《こんど》は赫々《かく/\》たる太陽《たいよう》は、射《い》る如《ごと》く吾等《われら》の上《うへ》を照《てら》して來《き》た。印度洋《インドやう》中《ちう》雨後《うご》の光線《くわうせん》はまた格別《かくべつ》で、私《わたくし》は炒《い》り殺《ころ》されるかと思《おも》つた。其時《そのとき》第《だい》一に堪難《たえがた》く感《かん》じて來《き》たのは渇《かはき》の苦《くるしみ》、茲《こゝ》だ禍《わざわひ》變《へん》じて幸《さひはひ》となると言《い》つたのは、普通《ふつう》ならば、漂流人《へうりうじん》が、第《だい》一に困窮《こんきう》するのは淡水《まみづ》を得《え》られぬ事《こと》で、其爲《そのため》に十|中《ちう》八九は斃《たを》れてしまうのだが、吾等《われら》は其《その》難《なん》丈《だ》けは免《まぬ》かれた。先刻《せんこく》瀧《たき》のやうに降注《ふりそゝ》いだ雨水《あめみづ》は、艇底《ていてい》に一面《いちめん》に溜《たま》つて居《を》る、隨分《ずいぶん》生温《なまぬる》い、厭《いや》な味《あぢ》だが[#「味《あぢ》だが」は底本では「味《あぢ》だか」]、其樣事《そんなこと》は云つて居《を》られぬ。兩手《りようて》に掬《すく》つて、牛《うし》のやうに飮《の》んだ。渇《かはき》の止《と》まると共《とも》に次《つぎ》には飢《うゑ》の苦《くるしみ》、あゝ此樣《こん》な事《こと》と知《し》つたら、昨夜《さくや》海中《かいちう》に飛込《とびこ》む時《とき》に、「ビスケツト[#「ビスケツト」は底本では「ピスケツト」]」の一鑵《ひとかん》位《ぐら》いは衣袋《ポツケツト》にして來《く》るのだつたにと、今更《いまさら》悔《くや》んでも仕方《しかた》がない、斯《か》うなると昨夜《さくや》の暖《あたゝか》な「スープ」や、狐色《きつねいろ》の「フライ」や、蒸氣《じようき》のホカ/\と立《た》つて居《を》る「チツキンロース」などが、食道《しよくだう》の邊《へん》にむかついて來《く》る。そればかりか、遠《とほ》い昔《むかし》に、燒肉《ビフステーキ》が少《すこ》し焦《こ》げ※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、122−8]《す》ぎて居《を》るからと怒鳴《どな》つて、肉叉《フオーク》もつけずに犬《いぬ》に喰《く》はせてしまつた一件《いつけん》や、「サンドウイツチ」は職工《しよくにん》の辨當《べんたう》で御坐《ござ》るなどゝ贅澤《ぜいたく》を云《い》つて、※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]車《きしや》の窓《まど》から投出《なげだ》した事《こと》などを懷想《くわいさう》して、つくづくと情《なさけ》なくなつて來《き》た。然《しか》し此《この》日《ひ》は、無論《むろん》空腹《くうふく》の儘《まゝ》に暮《く》れて、夜《よ》は夢《ゆめ》の間《ま》も、始終《しじう》食物《しよくもつ》の事《こと》を夢《ゆめみ》て居《を》るといふ次第《しだい》、翌日《よくじつ》になると苦《くるし》さは又《また》一倍《いちばい》、少年《せうねん》と二人《ふたり》で色《いろ》青《あを》ざめて、顏《かほ》を見合《みあ》はして居《を》るばかり、果《はて》は艇舷《ふなべり》の材木《ざいもく》でも打
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