は分《わか》つて居る※[#感嘆符三つ、98−2]
はツ[#「はツ」に傍点]と思《おも》つたが、此時《このとき》忽《たちま》ち我《わ》が弦月丸《げんげつまる》の前甲板《ぜんかんぱん》に尋常《たゞ》ならぬ叫聲《さけびごゑ》が聽《きこ》えた。私《わたくし》は跳上《をどりあが》つて眼《まなこ》を放《はな》つと、唯《たゞ》見《み》る、本船々首《ほんせんせんしゆ》正面《しやうめん》の海上《かいじやう》に、此時《このとき》まで閃々《せん/\》たる光《ひかり》は絶《た》えず海《うみ》の八方《はつぱう》を照《てら》しつゝ既《すで》に一海里《いつかいり》ばかり駛《はし》り去《さ》つた海蛇丸《かいだまる》は、此時《このとき》何故《なにゆゑ》か探海電燈《サーチライト》の光《ひかり》パツと消《き》えて、突然《とつぜん》船首《せんしゆ》を轉廻《めぐら》すよと見《み》る間《ま》に、さながら疾風《しつぷう》電雷《でんらい》の如《ごと》く此方《こなた》に突進《とつしん》して來《き》た。
『や、や、や、や、や。』と私《わたくし》の胸《むね》は警鐘《けいしやう》を亂打《らんだ》するやうである。更《さら》に驚愕《おどろ》いたのは、船橋《せんけう》の船長《せんちやう》、後甲板《こうかんぱん》の一等運轉手《いつとううんてんしゆ》、二等運轉手《にとううんてんしゆ》、三等運轉手《さんとううんてんしゆ》[#「三等運轉手《さんとううんてんしゆ》」は底本では「三運等轉手《さんとううんてんしゆ》」]、水夫《すゐふ》、火夫《くわふ》、見張番《みはりばん》、一同《いちどう》顏色《がんしよく》を失《うしな》つて、船首甲板《せんしゆかんぱん》の方《かた》へ走《はし》つて來《き》た。
眞正面《まつせうめん》から突進《とつしん》して來《く》る海蛇丸《かいだまる》と、我《わ》が弦月丸《げんげつまる》との距離《きより》は最早《もはや》一千|米突《メートル》に※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、99−2]《す》ぎない。廣《ひろ》い樣《やう》でも狹《せま》いのは※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]船《きせん》の航路《かうろ》で、千島艦《ちしまかん》とラーヴエンナ[#「ラーヴエンナ」に二重傍線]號《がう》事件《じけん》の實例《じつれい》を引《ひ》く迄《まで》もなく、少《すこ》しく舵機《かぢ》の取方《とりかた》を※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、99−3]《あやま》つても、屡々《しば/\》驚怖《きやうふ》すべき衝突《しようとつ》を釀《かも》すのに、底事《なにごと》ぞ、怪《あやし》の船《ふね》海蛇丸《かいだまる》は、今《いま》や我《わ》が弦月丸《げんげつまる》の指《さ》して行《ゆ》く同《おな》じ鍼路《しんろ》をば故意《わざ》と此方《こなた》に向《むかつ》て猛進《まうしん》して來《く》るのである、一|分《ぷん》、二|分《ふん》、三|分《ぷん》の後《のち》は一大《いちだい》衝突《しようとつ》を免《まぬ》かれぬ運命《うんめい》※[#感嘆符三つ、99−6]
船長《せんちやう》も一等運轉手《チーフメート》も度《ど》を失《うしな》つて、船橋《せんけう》を驅《か》け上《あが》り、驅《か》け降《くだ》り、後甲板《こうかんぱん》に馳《は》せ、前甲板《ぜんかんぱん》に跳《おど》り狂《くる》ふて、聲《こゑ》を限《かぎ》りに絶叫《ぜつけう》した。水夫《すゐふ》。火夫《くわふ》、船丁等《ボーイら》の周章狼狽《しうしようらうばい》は言《い》ふ迄《まで》もない、其内《そのうち》に乘客《じやうきやく》も※[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、99−9]半《くわはん》睡眠《ねむり》より醒《さ》めて、何事《なにごと》ぞと甲板《かんぱん》に走《はし》り出《い》でんとするを、邪魔《じやま》だ/\と昇降口《しようかうぐち》の邊《へん》より追返《おひかへ》さんと※[#「口+曹」、第3水準1−15−16]《ひしめ》く二三|船員《せんゐん》の聲《こゑ》も聽《きこ》える。本船《ほんせん》は連續《つゞけさま》に爆裂信號《ばくれつしんがう》を揚《あ》げ、非常※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]笛《ひじやうきてき》を鳴《な》らし、危難《きなん》を告《つ》ぐる號鐘《がうしやう》は割《わ》るゝばかりに響《ひゞ》き渡《わた》つたけれど、海蛇丸《かいだまる》は音《おと》もなく、ずん/\と接近《せつきん》して來《く》るばかりである。本船《ほんせん》の舵手《だしゆ》は狂氣《きようき》の如《ごと》くなつて、鍼路《しんろ》を右《みぎ》に左《ひだり》に廻轉《くわいてん》したが何《なん》の甲斐《かひ》も無《な》い。此方《こなた》※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]角《きかく》短聲《たんせい》一發《いつぱつ》、鍼路《しんろ》を右舷《うげん》に取《と》れば、彼方《かなた》海蛇丸《かいだまる》も左舷《さげん》の紅燈《こうとう》隱《かく》れて鍼路《しんろ》を右《みぎ》に取《と》り、此方《こなた》短聲《たんせい》二發《にぱつ》鍼路《しんろ》を左舷《さげん》に廻《めぐ》らせば、彼方《かなた》も亦《ま》た左舷《さげん》の紅燈《こうとう》現《あら》はれて鍼路《しんろ》を左《ひだり》に取《と》る。最早《もはや》疑《うたが》ふ事《こと》は出來《でき》ぬ、海蛇丸《かいだまる》は今《いま》や立浪《たつなみ》跳《をど》つて海水《かいすい》淺《あさ》き、此《この》海上《かいじやう》で我《わ》が弦月丸《げんげつまる》を一撃《いちげき》の下《もと》に撃沈《げきちん》せんと企圖《くわだ》てゝ居《を》るのだ。
『衝突《しようとつ》だ! 衝突《しようとつ》だ! 衝突《しようとつ》だ!』と百數十《ひやくすふじふ》の船員等《せんゐんら》は夢中《むちう》になつて甲板上《かんぱんじやう》を狂奔《きやうほん》した。
此時《このとき》既《すで》に本船《ほんせん》を去《さ》る海蛇丸《かいだまる》の距離《きより》は僅《わず》かに二|百《ひやく》二三十|米突《メートル》以内《いない》※[#感嘆符三つ、100−10]
一等運轉手《チーフメート》と船長《せんちやう》とは血眼《ちまなこ》になつて一度《いちど》に叫《さけ》んだ
『全速力《ぜんそくりよく》後退《こうたい》! 後退《こうたい》! 後退《こうたい》!』
同時《どうじ》に※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]角《きかく》短聲《たんせい》三發《さんぱつ》、蒸※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]機關《じようききくわん》の響《ひゞき》ハッタと更《あらた》まつて、逆《ぎやく》に廻旋《くわいせん》する推進螺旋《スクルー》の邊《ほとり》、泡立《あはだ》つ波《なみ》は飛雪《ふゞき》の如《ごと》く、本船《ほんせん》忽《たちま》ち二十|米突《メートル》――三十|米突《メートル》も後退《こうたい》したと思《おも》つたが、此時《このとき》すでに遲《おそ》かつた、今《いま》や我《わ》が弦月丸《げんげつまる》の側面前方《そくめんぜんぱう》、約《やく》百|米突《メートル》以内《いない》に接迫《せつぱく》し來《きた》つた海蛇丸《かいだまる》は、忽然《こつぜん》[#ルビの「こつぜん」は底本では「こぜん」]其《その》船首《せんしゆ》を左方《さほう》に廻轉《くわいてん》するよと見《み》る間《ま》に、其《その》鋭《するど》き衝角《しようかく》は恰《あたか》も電光石火《でんくわうせきくわ》の如《ごと》く、本船《ほんせん》の中腹《ちうふく》目撃《めが》けてドシン※[#感嘆符三つ、101−6]
弦月丸《げんげつまる》は萬山《ばんざん》の崩《くづ》るゝが如《ごと》き響《ひゞき》と共《とも》に左舷《さげん》に傾斜《かたむ》いた。途端《とたん》に起《おこ》る大叫喚《だいけうくわん》。二百《にひやく》の船員《せんゐん》が狂《くる》へる甲板《かんぱん》へ、數百《すうひやく》の乘客《じやうきやく》が一時《いちじ》に黒雲《くろくも》の如《ごと》く飛出《とびだ》したのである。
風《かぜ》の如《ごと》く、電光《いなづま》の如《ごと》く來《きた》りし海蛇丸《かいだまる》[#ルビの「かいだまる」は底本では「かいたまる」]は、また、風《かぜ》の如《ごと》く、電光《いなづま》の如《ごと》く、黒暗々《こくあん/\》たる波間《はかん》に隱《かく》れてしまつた。
天空《そら》には星影《ほしかげ》一|點《てん》、二|點《てん》、又《ま》た三|點《てん》、風《かぜ》死《し》して浪《なみ》黒《くろ》く、船《ふね》は秒一秒《べういちべう》と、阿鼻叫喚《あびけうくわん》の響《ひゞき》を載《の》せて、印度洋《インドやう》の海底《かいてい》に沈《しづ》んで行《ゆ》くのである。

    第八回 人間《にんげん》の運命《うんめい》
[#ここから5字下げ]
弦月丸の最後――ひ、ひ、卑怯者め――日本人の子――二つの浮標《ブイ》――春枝夫人の行衞――あら、黒い物が!
[#ここで字下げ終わり]
 あゝ人間《にんげん》の運命《うんめい》程《ほど》不思議《ふしぎ》な者《もの》はない。此《この》珍事《ちんじ》のあつた翌日《よくじつ》は私《わたくし》は、日出雄少年《ひでをせうねん》と唯《たゞ》二人《ふたり》で、長《なが》さ卅|呎《フヒート》にも足《た》らぬ小端艇《せうたんてい》に身《み》を委《ゆだ》ねて、水《みづ》や空《そら》なる大海原《おほうなばら》を浪《なみ》のまに/\漂《たゞよ》[#ルビの「たゞよ」は底本では「たゝよ」]つて居《を》るのであつた。言《い》ふ迄《まで》も無《な》く、弦月丸《げんげつまる》は其時《そのとき》無限《むげん》の恨《うらみ》を飮《の》んで、印度洋《インドやう》の海底《かいてい》に沈沒《ちんぼつ》せしめられたのである。
風《かぜ》軟《やはら》かに、草《くさ》みどりなる陸上《りくじやう》の人《ひと》は、船《ふね》の沈沒《ちんぼつ》などゝ聞《き》けば、恰《あだか》も趣味《しゆみ》ある出來事《できごと》の樣《やう》に思《おも》はれて、或《あるひ》は演劇《えんげき》に、或《あるひ》は油繪《あぶらゑ》に、樣々《さま/″\》なる事《こと》をして其《その》悲壯《ひさう》なる光景《ありさま》を胸裡《むね》に描《ゑが》かんとして居《を》るが、私《わたくし》の如《ごと》く現在《げんざい》其《その》難《なん》に臨《のぞ》んで、弦月丸《げんげつまる》が悲慘《ひさん》なる最後《さいご》を遂《と》ぐるまで、其《その》甲板《かんぱん》に殘《のこ》つて居《を》つた身《み》は、今更《いまさら》其《その》始終《しじゆう》を懷想《くわいさう》しても身《み》の毛《け》の彌立《よだ》つ程《ほど》で、とても詳《くわ》しい事《こと》を述立《のべた》てるに忍《しの》びぬが、是非《ぜひ》に語《かた》らねばならぬ其《その》大略《あらまし》だけを茲《こゝ》に記《しる》して置《お》かう。
海蛇丸《かいだまる》が我《わが》弦月丸《げんげつまる》の右舷《うげん》に衝突《しやうとつ》して、風《かぜ》の如《ごと》く其《その》形《かたち》を闇中《やみ》に沒《ぼつ》し去《さ》つた後《のち》は、船中《せんちゆう》は鼎《かなえ》の沸《わ》くが樣《やう》な騷《さわぎ》[#ルビの「さわぎ」は底本では「さわき」]であつた。泣《な》く聲《こゑ》、喚《わめ》く聲《こえ》、哀《あはれ》に救助《たすけ》を求《もと》むる聲《こゑ》は、悽《すさ》まじき怒濤《どとう》の音《おと》と打交《うちまじ》つて、地獄《ぢごく》の光景《ありさま》もかくやと思《おも》はるゝばかり。あらゆる防水《ぼうすい》の方便《てだて》は盡《つく》されたが、微塵《みぢん》に打碎《うちくだ》かれたる屹水下《きつすいか》からは海潮《かいてう》瀧《たき》の如《ごと》く迸《ほとばしり》入《い》つて、其《その》近傍《きんぼう》には寄《よ》り附《つ》く事《こと》も出來《でき》ない。十|臺《だい》の喞筒《ポンプ》は、全力《ぜんりよく》で水《みづ》を吐出《はきだ》して居《を》るが何《なん》の效能《こうのう》も
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