、僕とお前のコースなぞは、まあ平凡といつていいね」
博士は、この平凡といふ言葉につまらないといふ意義は響かせなかつたが、夫人にはただそれだけの言葉ではもの足りないやうな思ひがした。夫人は何気なささうに
「さうでご座いますね」
と博士の言葉に返事をしながら、今眼の前に見る蝙蝠の影に、二人が少年少女だつた遠い昔の蝙蝠の羽撃《はばた》きが心の中で調子を合せてゐるやうで、懐しい悲しい気持ちがした。
しばらくして夫人はおだやかに云つた。
「それはさうと、もう二三日でお盆の仕度にちよつと東京へ帰つて参らうと思ひます」
「そしたら序《ついで》にどつかで金米糖《こんぺいとう》を見つけて、買つて来て貰《もら》ひ度《た》いね。この頃何だかああいふ少年の頃の喰べものを、また喰べ度くなつた」
博士は庭の植物に水をやりに行つた。夫人は山の端《は》に出た夕月を見つゝ、自分が日比野の家へ入つてから、東京の家も、土蔵だけ残して、便利で明るい現代風の建物に改築したことや、良人《おっと》の母親も満足して死に、良人の兄たちとも円満に交際を復旧したことや、そして子供達の無事な成長――
これが、良人のいふ平凡な私たち
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