|毎《ごと》に油壺《あぶらつぼ》から帰つて来る良人《おっと》を待受けてゐた。子供といつても長男はもう工科の学生で、二十三歳になり、妹は婚約中の十九になつてゐた。
一色の海岸にうち寄せる夕浪《ゆうなみ》がやや耳に音高く響いて来て、潮煙のうちに、鎌倉の海岸線から江の島が黛《まゆずみ》のやうに霞《かす》んでゐる。
兄妹は逗子《ずし》へ泳ぎに行き、友だちのところへ寄つたと見えてまだ帰らない。涌子夫人は夫に食事の世話をしつゝ、自分も食べ終つた。二人とももう脂肪気の多い食品はなるべく避ける年配になつてゐた。
近くに※[#「魚+膠のつくり」、47−13]釣の火が見え出し、沖に烏賊《いか》釣りの船の灯《ひ》が冷涼《すず》しく煌《きら》めき出した。
冷した水蜜桃《すいみつとう》の皮を、学者風に几帳面《きちょうめん》に剥《む》き乍《なが》ら博士は云つた。
「じつに、静かな夕方だな」
「さうでご座いますね」
涌子夫人はまだこの時代に、この辺にはちらほらする蝙蝠の影を眺めてゐた。
「油壺の方で、毎晩食後にいろいろ教職員や学生の身の上話も出るのだが、あれでなかなか複雑な経歴なものもある。それに較べると
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