う》に在った。父は夏以外ふだんの職業として反物《たんもの》のたとう紙やペーパアを引受けていた。和漢文の素養のある上に、ちょっと英語を習った。それでアドレスや請求文《せいきゅうぶん》を書いて、父はイギリスの織物会社からしきりにカタログを取り寄せた。中や表紙の図案を流用しながら、自分の意匠《いしょう》を加えて、画工に描《か》き上げさせ、印刷屋に印刷させて、問屋の註文《ちゅうもん》に応じていた。ちらしや広告の文案も助手を使って引き受けていた。
 だが地元の織物組合は進歩した。画工も進歩した。今更中間のブローカー問屋や素人《しろうと》の父の型の極《きま》った意匠など必要はなくなった。父の住居|附《つ》きのオフィスは年々|寂寥《せきりょう》を増した。しばらく持ち堪《こた》えてはいたが、その後いろいろな事業に手を出した末が、地所ぐるみ人に取られた。その前に先祖から伝えられていた金も道具も失《な》くしていた。だからこの夏期は夜番と云《い》いつくろって父娘《おやこ》二人水泳場へ寝泊《ねとま》りである。
 駸々《しんしん》と水泳場も住居をも追い流す都会文化の猛威《もうい》を、一面灰色の焔の屋根瓦に感じて
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