を白日の不思議のように見上げていた。小初は急に突きのめされるような悲哀《ひあい》に襲《おそ》われた。自分の肉体のたった一つの謬着物《こうちゃくぶつ》をもぎ取られて、永遠に帰らぬ世界へ持ち去られるような気持ちに、小初は襲われた。
小初もあわてて立ち上った。小初は薫の後を追って薫の腕へぎりぎりと自分の腕を捲きつけた。
「薫さん、だけど薫さん、遠泳会にはきっと来てね。精いっぱい泳ぎっこね。それでお訣《わか》れならお訣れとしようよ」
「うん」
「きっとよ、ね、きっと」
「うん、うん」
そして、薫が萎《しお》れてのろのろと遠ざかって行くのが今さら身も世もなく、小初には悲しくなった。
小初は元の砂地に坐《すわ》って薫の後姿を見送った。風のないしんとした蘆洲のなかへ薫の姿は見えなくなって行った。
小初は眠れなかった。急に重くなって来た気圧で、息苦しく、むし暑く、寝返りばかりうっていたせいでもあるが、とてもじっとしていられない悲しい精力が眠気を内部からしきりに小突き覚ました。傍で寝ている酒気を帯びた父の鼾《いびき》が喉《のど》にからまって苦しそうだ。父は中年で一たん治まった喘息《ぜんそく》が、
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