薫の弱い消極的な諦《あきら》めが、むしろ悲壮《ひそう》に炎天下《えんてんか》で薫の顔を蒼《あお》く白ました。
「何も、決定的な事じゃあるまいし……」と小初は云ったが語尾は他人のように声が遠のいて行った。小初は今日まで、貝原との約束をどう薫に打ち明けようか、思いなやんでいたのである。それに自分だとてまだ貝原との約束を全然決定し切れない心に苦しめられていたのであるけれど、薫の方から、云い出されてかえって小初の心はしんと静まり返ってゆくのだった。そしてだんだん虚脱《きょだつ》に似た無批判になってゆく心境のなかにいつか涼しい一脈の境界が透《とお》って来た。父に聞いた九淵のはなし、友が訳した希臘《ギリシヤ》の狂詩――水中に潜む渾沌未分の世界……「どうでもいいわ」……小初はすべてをぶん流したあとの涼やかさを想像した。小初の泣き顔の涙も乾いて遠くの葦の葉ずれが、ひそひそと耳にささやくように聞える。小初はまたしても眠くなった。
 薫は腹這《はらば》いから立ち上った。腰だけの水泳着の浅いひだ[#「ひだ」に傍点]から綺麗な砂をほろほろ零《こぼ》しながらいい体格の少年の姿で歩き出した。小初はしばらくそれ
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