豊かに溜《たま》り、そしてまた流れ出るところも淵だ。滴《した》たって落つる水を受け止めているのも淵だ――」
父親は大体こんなふうに淵が水を受け入れる諸条件を九つの範疇《はんちゅう》にまとめて、
「これを九淵の説と云って、水はいろいろの変化で向うが、それを受け容れる淵はたった一つなのだ。この淵の無心な気持ちになっていれば世間がどう変りこっちにどう仕向けようと、余悠綽々《よゆうしゃくしゃく》なのだ。ここのところをわが青海流では、
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死屍《しし》水かかずしてよく浮く
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といって、平泳ぎのこころだ」
「それは、よくおとうさんがおっしゃる、あの渾沌未分の兄弟か何かなの」
小初は食後の小楊枝《こようじ》を使いながら父親を弥次《やじ》った。自分が人を揶揄《やゆ》することを好んで人から揶揄されることを嫌《きら》うのは都会的|諷刺家《ふうしか》の性分で、父親はそれが娘だとぐっと癪《しゃく》に触《さわ》った。しばらく黙っていたが、跳《は》ね返す警句を思いつく気力もなく、
「兄弟分でもなんでもない、全く一つのものだ」
と低い声音に渾身の力を籠《こ》めて言っ
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