頃では、敬蔵もうっかり自分の言葉癖《ことばぐせ》は出しにくかった。父娘は夜な夜な「最後の晩餐《ばんさん》」という敬虔《けいけん》な気持で言葉少なに美味に向った。
 いったいが言葉少なの父娘だった。わけて感情を口に出すのを敬蔵は絶対に避《さ》けた。そういうことは嫌味《いやみ》として旧東京の老人はついにそれに対する素直な表現欲を失っていた。感情の表現にはむしろ反語か、遠廻しの象徴《しょうちょう》の言葉を使った。
「隣《となり》近所にお化粧《けしょう》のアラを拾うやつもなくてさばさばしたろう」
 これが唯一《ゆいいつ》の、娘も共に零落《れいらく》させた父の詫《わ》びの表明でもあり、心やりの言葉でもあった。小初は父の気持ちを察しないではないが、「何ぼ何でもあんまり負け惜《お》しみ過ぎる」と悲しく疎《うと》まれた。
 今夜はまたとても高踏的《こうとうてき》な漢籍《かんせき》の列子の中にあるという淵《ふち》の話を持ち出して父は娘に対する感情をカモフラージュした。
「淵には九つの性質がある。静水をじっと湛《たた》えているのも淵だ。流れて来た水のしばらく淀《よど》むところも淵だ。底から湧《わ》いた水が
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