すみれの色が紫だってことはもうすっかり僕に判ってるんだよ。だけど僕の知り度《た》いのは紫ってどんな色か……そればかりではないんだよ。僕は君と結婚したてには夢中で、白だの紅だの青だの黄だのって色彩の名を教わって覚えたろう。だけど、実際はその白や紅や青や黄やが、どんないろ[#「いろ」に傍点]だか判ってやしなかったんだよ」
 三木雄の始の口調は如何にも智子を詰るようだったが中途から思い返したらしく淋しい微笑を口元に泛《うか》べながら云った。
 珍らしく初夏近くまで裏の木戸傍に咲き残っていた菫《すみれ》の一束を摘んだ夜、智子は食後の夫の少しほてったような掌にその一摘みのすみれの花を載せてやった。その紫のいろが、またしても夫の憂いの種になろうとは思わなかった。
 智子はふとアンドレ・ジイド作の田園の交響楽の一節を思い出した。
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盲目少女ジェルトリウド「でも白、白は何に似ているかあたしには分りませんわ」
聞かれた牧師「……白はね、すべての音が一緒になって昂まったその最高音さ、恰度《ちょうど》、黒が暗さの極限であるように……」
[#ここで字下げ終わり]
がこれではジェルトリウド
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