去った。しばらくは人を中心にあめつちは支えられる。ただし、神を享けぬ人は低かろう、ただし獣の力を帯ばない人は弱かろう。看よ、看よ。わたしは山一つを人に遺して置く。山一つ。すべての訓えはこれにある。岳神のわたしは失《う》する。失することの楽しさ。失するということはあんた方の中に得ることである。あんたが悩むとき、美しくあるとき、青春に萌ゆるとき、わたしは在る。ほんとうに在る。あんたの肉体そのものに感ぜられるまでに、わたしは在る。今ぞわたしは失する。さくらの空に朗々と失することの楽しさ」
またころころと笑う声は、珠うち鳴らしつつ距り行くが如く、霞を貫きおお空の宙にまであとをひいていつとしもなく聞えなくなった。
福慈の岳の噴煙は激しくなって、鳴動をはじめた。
不二の嶺《ね》のいや遠長き山路をも妹許《いもがり》訪へば気《け》に呻《よ》はず来《き》ぬ
富士の西南の麓、今日、大宮町浅間神社の境内にある湧玉《わくたま》池と呼ばれる湛えた水のほとりで、一人の若い女が、一人の若い男に出会った。
頃は、駿河国という名称はなくて、富士川辺まで佐賀牟《さがむ》国と呼ばれていた時代のことである。
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