を縲《にな》の貝の形に張り膨らめた。それに腹の皮を引攣《ひきつ》られ翁はいつも胸から上をえび[#「えび」に傍点]蔓《づる》のように撓《たわ》めて歩いた。
 こどもの中には餓え死んだり、獣の餌になるものもあったが、大体は木の実を拾って食い、熊、狼の害を木の股、洞穴に避けて育った。山は害敵とそれを免れるものと両方を備え無言にして生命それ自ら護るべき慧智を啓発した。
 こどもたちは父親の翁に似て山が好きだった。その性分の上にあけ暮れ馴染む山は、はじめは養いの親であり、次には師であり、年頃になれば睦ぶ配偶でもあった。老年には生みの子とも見做される情愛が繋がれた。死ぬときには山はそのまま墓でもあった。しかし、生涯、山に親しみ山に冥通する何ものかを得たこどもたちは、老年に及び死を迎えるまえに生命を自然の現象に置き換える術を学び得ていた。彼等は死の来る一息まえ、わがいのちを山の石、峯の雲に托した。それゆえ彼等は悠久に山と共に鎮《しずも》り、峯に纏《まと》って哀愛の情を叙することができる。
 翁はその多くのこどもを西国の名だたる山に、ほぼ間配《まくば》りつけた。比叡、愛宕、葛城、鈴鹿、大江山――当時は
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