その名さえ無かったのだが、便利のため後世の名で呼んで置く――山ほどの山で翁のこどもの棲付かぬ山もなかった。
 山に冥通を得たこどもたちは、意識に於て「妙」というほどの自在を得た。離れたときには山と自分と相対した二つとなり、融ずるときには自分を山となし、或は山を自分とする一致ができた。山におのおの特殊の性格があることは前の条で説いた。こどもたちは育った山の性その如き人間となった。身体つき容貌まで何やら山の姿、峯の俤《おもかげ》に似通って見えた。西国の山は冬は脱ぎ夏は緑を装った。こどもたちも亦《また》冬は裸に夏は藤ごろもを着た。緑の葉に混る藤の花房が風にゆらいで着ものから紫の雫《しずく》を撥《は》ねさした。
 もとより山のことにかけては何事でも暗《そら》んじているこどもを、麓の土民たちはその山の神と呼んだ。そして侍《かしず》き崇むる外に山に就ての知識を授けて貰った。たつきの業《わざ》を山からかずけられて生活する麓の土民は、山の秘密や消息を苦もなく明す人間を、感謝し、惧《おそ》れ、また親しんだ。ときどきは神秘に属する無理な人間の願事《ねぎごと》をも土民はこどもに山へ取次ぐよう頼んだ。こどもは
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