した。遥々尋ねて来た生みの親に向ってこと[#「こと」に傍点]人だという。何という薄情な娘なのだろう。しかしわけを聞いてみればその道理もないことはない。ふる郷を立つときから紅色に萌し始めた人情の胸の中の未練のほむらは子の慕わしさにかき立てられ旅の憂さに揺り拡げられ、こころ一面に燃え盛っている。福慈の神に出会い一目それをわが娘と知るや無我夢中になってしまって、矢庭《やにわ》に掻き抱こうとした旅塵の掌で、危うく白妙《しろたえ》の斎《いつき》の衣を穢《けが》そうとして、娘に止められて気が付いたほどである。これからしてみれば、一夜の間は心を静め澄さねばならない女神の斎《いつき》の筵《むしろ》にかかる動きゆらめくものが傍におることは親とはいえ娘の神の為めにならないことは判り切った話だ。ならば娘の神のいう通り村里へ下って娘の神のいい付けて呉れた誰かの家へ行って泊ってもやり度い。だが翁にはそれはできなかった。
 娘の神が自分をこと[#「こと」に傍点]人といったのは今夜の神聖に対し一夜だけのことにしていったのであろうか、それとも幼くして遥な国へ思い捨てた父に対しての無情の恨みの根を今も深く持ち添えそれでいったのであろうか、それが気になった。前の方の理由からならば一夜ぐらい離れていることはとかくに辛棒はしてもいい。しかし後の方の理由からとしたならこれは卒爾《そつじ》には済まされんことだ。そうしたことには山の祖神として自分にわけも気持もあってしたことの解き開きを娘の神にとくと諾《うなず》かして、根に持つ恨みを雪解の水に溶き流さすまではかの女の傍からは離れられない。そのことで今世の親子の縁は切られ度くない。そう思ってかさにかかって翁の娘の神に詰め寄りなじりかかろうとする刹那に神楽の音が起り祭が始ってしまった。本意なくも庭外まで退いたのであったが。腹はむしゃくしゃすると同時に堪えぬなつかしさの痛み、悔いないでよいことへの悔い――そういったことでごちゃごちゃになっていた。せめて娘の姿の望まれるところでしばらく心を宥《なだ》めよう。それにしても子というものは、しばらく離れてめぐり会った子というものは何と人間のような血の気を神の胸にも逆上さすものであろう。これが大自然に対しては冥通自在を得た山の祖神ともいわれるものの心行かよ。翁は庭のはずれの台のところに来て蹲《うずくま》りながら苦笑した。
 台の
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