富士
岡本かの子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)拳《こぶし》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一二尺|掠《かす》り除《のぞか》れて

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「水/(水+水)、第3水準1−86−86]

 [#…]:返り点
 (例)汝所[#レ]居山、
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 人間も四つ五つのこどもの時分には草木のたたずまいを眺めて、あれがおのれに盾突くものと思い、小さい拳《こぶし》を振り上げて争う様子をみせることがある。ときとしては眺めているうちこどもはむこうの草木に気持を移らせ、風に揺ぐ枝葉と一つに、われを忘れてゆららに身体を弾ませていることがある。いずれにしろ稚純な心には非情有情の界を越え、彼《ひ》と此《し》の区別を無《な》みする単直なものが残っているであろう。
 天地もまだ若く、人間もまだ稚純な時代であった。自然と人とは、時には獰猛《どうもう》に闘い、時には肉親のように睦《むつ》び合った。けれどもその闘うにしろ睦ぶにしろ両者の間には冥通する何物かがあった。自然と人とは互に冥通する何者かを失うことなしに或は争い或は親しんだ。
 ここに山を愛し、山に冥通するがゆえに、山の祖神《おやのかみ》と呼ばるる翁《おきな》があった。西国に住んでいた。
 平地に突兀《とつこつ》として盛り上る土積。山。翁は手を翳《かざ》して眺める。翁は須臾《しゅゆ》にして精神のみか肉体までも盛り上る土堆と関聯した生理的感覚を覚える。わが肉体が大地となって延長し、在るべき凸所に必定在る凸所として、山に健やけきわが肉体の一部の発育をみた。
 翁は、時には、手を長くさし出して地平の線に指尖を擬する。地平の線には立木の林が陽を享けて薄《すすき》の群れのように光っている。翁は地平のかなたの端から、擬した指尖を徐《おもむ》ろに目途《めじ》の正面へと撫《な》で移して行く。そこに距離の間隔はあれども無きが如く、翁の擬して撫で来る指の腹に地平の林は皮膚のうぶ毛のように触れられた。いつまでも平《たいら》の続く地平線を撫で移って行く感覚は退屈なものである。人間の翁がそう感ずると等しく、自然自体も感ずるのであろうか、翁の指尖が目途の正面を越して反対側へ撫で移るま
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