が、それは許されないことである。今宵のこの庭のかがり火は純粋な神のみが使う資格のある聖なる祭の火であった。一点の人情をつけて恋々西国より東国へ娘の生い立ちにを見に下った螺の如き腹にえび蔓のような背をした老翁は、たとえ自然には冥通ある超人には違いないが、なお純粋の神とはいわれなかった。生きとし生けるものの中では資格に於ていわば半人半神の座に置かるべきものであった。
 娘の福慈《ふくじ》の神もそれをいい、純粋の神の気を享けて神の領から今年、神がはじめてなりいでさせ給うた神のなりものによって純粋の神を餐《あえ》まつることのよしを仲立に、一元に敏《と》く貫くいのちの力により物心両様の中核を一つに披《ひら》いて、神の世界をまさしく地上に見ようとする純粋にも純粋を要する今宵の祭に、鶏の毛ほどでもこと[#「こと」に傍点]人の気のある生けるものは、たとえ親でも遠慮して欲しいといった。娘の神が神としていちばん大事な修業をする間、少しでも娘の気を散らさないよう、爪の垢《あか》ほどの穢《けが》れを持来さしめぬよう心懸けて呉れるのがほんとの親子の情だといった。
 山の祖神は、山の裾野へさしかかって四日目にもう一日歩いて、たそがれ、かがり火を認めてたずね寄ったのではあったが――
 東の国のまだ見ぬ山へ、神として住みつきもやすると思い捨てた覚悟のもとに旅人に托けて送った末の娘が、思い設けたより巨岳の山の女神となって生い立ちなりわいつつあるのに、山の祖神は首尾よくめぐり会ったには違いないが――
 その夕は相憎《あいにく》とこの麓の里で新粟を初めて嘗むる祭の日であり、娘の神の館は祭の幄舎《あくしゃ》に宛てられていた。この祭には諱忌《きき》のあるものは配偶さえ戸外へ避けしめる例であった。生みの親の、その肉親の纏白《てんぱく》の情は、殊に老後の思い出に遥々たずね当った稀《まれ》なる歓びは心情の捻纏を一層に煩わしくしよう。娘の神は父の老翁に、こういう慮りから、宿は村里の誰かの家へ取ってあげますから、祭の今夜一夜だけは自分の家をば遠慮して欲しいと頼んだのであった。
 翁のふる郷の西国の山々にも新粟を初めて嘗むる祭はあった。しかしかかる純粋と深刻さで執り行う祭を、修業としての心得を、翁は東国へ来て生い立った娘の神からして始めて聞いた。
 翁は娘の神が口にしたこと[#「こと」に傍点]人という言葉をしきりに気に
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