傾斜からは麓の野を越して、たそがれの雲の帳《とばり》が望まれた。上見ぬ鷲の翔らん天ぎわから地上へかけて雲の帳は相変らずかけ垂れていたが、深まり来るたそがれの色にあらがうように帳の色は明るく薄れ行きつつある。それにつれて帳の奥の福慈岳《ふくじのだけ》の姿はいまや山の祖神の前に全積を示しかけて来た。祖神の翁は片唾《かたず》を呑んだ。
およそ山を見るほどのものの胸には山の高さに対して心積りというものがある筈である。見るほどのものはあらかじめの心積りの高さを率て実山に宛嵌《あては》め眺めるのであった。実山の高さが見るものの心積りの高さにかなりの相違があっても、全然見るものの心積りを根底から破却し去らない限り、そこに観念なるものと実在なるものと比較し得られる桟《かけ》はしがあってその上に立ち見るものをして両端の距りを心測して愕《おどろ》きの妙味を味い得しめるよすががある。ここにもし実在が観念と別な世界ほどの在りようで比較の桟はしを徹し去らるるときわれ等の心路は何によって味覚に達すべき。かかるとき愕きもない平凡もない。強いていおうならば北斗南面して看るという唐ようの古語にでも表現を譲《ゆず》るより仕方はあるまい。
さて、山の祖神の老翁は、雲の帳に透く福慈岳の全積を、麓の方から目途を攀らして頂《いただき》へと計って行った。麓の道を横に辿《たど》ってその幅によりこれは只事でないと感じ取った翁の胸には、福慈岳の高さに就ても、その心積もりに相当しんにゅう[#「しんにゅう」に傍点]をかけたものを用意していた。翁はそれを目度《めど》に移して山の影を見上げて行った。翁は息を胸に一ぱい吸い込み思い切り見上げたつもりでそこで眼を止めた。山の峯はまだそこで尽きようともせぬ。翁の息の方が苦しくなった。翁はそこであらためて息を肺に吸い更え、もそっと上へ目度を運び上げて行った。
また息の方が苦しくなったけれども山の高さは尽きようともしない。螺の腹でえび蔓の背をした老いの身体は後の丘の芝にいまや倒れるばかりに仰向いて天空を見上ぐるのであった。
それかあらぬか、翁は天宙から頭上へ目庇《まびさし》のように覆い冠って来る塩尻の形の巨きな影を認めたかに感じた。そのときもはや翁の用意していた福慈岳に対する高さの心積りはあまりの見込み違いに切って数段に飛ばし散らされていた。翁は身体を丘の芝に上から掴み押えられ
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