下げ終わり]
浪華《なにわ》の堀を出て淡路の洲本《すもと》の沖を越すころは海は凪《な》いで居た。帆は胸を落ち込ました。乗込客は酒筒など取り出した。女に口三味線を弾かせて膝の丸みを撫で乍らうとうとする年寄りもあった。
陸は近かった。松並木は一重青く浮き出して居た。その幹の間から並んで動いて行く小さい苫屋《とまや》が見えた。あたたかな砂浜には人が多ぜいいかなご[#「いかなご」に傍点]を漁《と》る網を曳いて居た。犬が吠え廻った。
船舷《ふなべり》に頬杖を突いて一眠りした蒔蔵は痺《しび》れたような疲れもすっかり癒《なお》った。やる瀬ない気持ちだけが残った。
「そうだ簪《かんざし》があったのだ、おもかげをしのぼう」
よじれて来る浪頭《なみがしら》を一すくい掌に掬《すく》い取って口にふくみ顔を撫でて新らしい三尺手拭でふいた彼は、眼の前の春の海原のなかに木屋町の白けたきぬぎぬを思い出した。あけ方の廊下は冷たかった。鉛の板のような草履《ぞうり》だった。女は湯も取っては呉れなかった。ただ傍に立っていて欠伸《あくび》をした。女の横顔をせめて別れにしみじみ見て置こうとしたら向うを向いて仕舞った。
「
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