に都合よくさいわい山査子には小さい刺《とげ》があった。
田夫思[#二]王女[#一]喩
[#ここから3字下げ]
田夫が貴姫を恋するこころを人に打ち明けた。人は「王女に汝《なんじ》の思いを通じたが汝を王女は嫌いと云った」と告げたにも拘らず田夫は強《し》いても王女に自分を認めさせようとした。
[#ここで字下げ終わり]
「世に美しいものとはこの姫のことか」
陀堀多は畑の中から輿《こし》の姫を眺めた。彼は今、黒黍《くろきび》を刈っていた。
金銀の瓔珞《ようらく》、七宝の胸かい、けしの花のような軽い輿。輿を乗せた小さい白象は虹でかがられた毛毬《けまり》のように輝いて居た。輿は象の歩るく度《た》びにうつらうつらと揺れた。
陀堀多は知らず知らず黍の蔭に身を隠しながら姫の姿を追った。
本あぜ道は榕樹《ガジュマル》の林へ向っていた。そこまではまだ二三町あった。さいわい黍畑は続いて居た。はるかに瑠璃《るり》色の空を刻み取って雪山の雪が王城の二つ櫓《やぐら》を門歯にして夕栄えに燦《きら》めいて居た。夢のような行列はこれ等の遠景を遊び相手にたゆたいつつ行く。
「あの姫にこのおれを認めさせずに行かせるのは残念だ。姫は二度とこういう田舎《いなか》へは来ないだろう。野の土くれの存在をああいう虹にうつしとめて置くということは――何だか分らないが、一生の生甲斐《いきがい》になるように思える」
黒黍の蔭を匍《は》ってついて行った陀堀多は、そこで身を伸び上り声を叫ぼうとした。しかし腰は臆して伸びなかった。もう行列の先手は二人ずつ並んで榕樹の林の紫の影に染まって行く。
肥溜《こえだめ》桶があった。鼬《いたち》の死骸が燐《りん》の色に爛《ただ》れて泡を冠《かぶ》っていた。桶杓《ひしゃく》が膿《う》んだ襤褸《ぼろ》の浮島に刺さって居た。陀堀多はその柄を取上げた。あたり四方へ力一ぱい撒いた。
風がその匂いを送って危うく榕樹の林へ入りかけようとする姫の嗅覚に届いた、姫は袖で顔を覆った。
姫に一つの強い感銘を与えたということで陀堀多はほっと満足した。しかし、あの美しいものを不快がらしたと思うといじらしくてならなくなった。
陀堀多は黍の中で泣いた。
殺[#二]商主[#一]祀[#レ]天喩
[#ここから3字下げ]
一隊商が曠野《こうや》で颶風《ぐふう》に遇った時、野神に供《そな》うる人身御供《ひとみごくう》として案内人を殺した。案内人を失った隊商等の運命は如何。
[#ここで字下げ終わり]
×××で雇い入れた案内者は不思議な男だった。
「ほんとうの案内者は殺されてから案内する」
こんなことをいった。みんなは大して気にも留めなかった。一つはこの案内者の見かけが平凡でそこらにざらにある雑種のアラビア人とちっとも違わないし、その上相当に狡《ずる》くもあったのでただ出鱈目《でたらめ》をいう言葉のなかに聞き流した。
自分の言葉に取り合われぬとき案内者はその平凡な顔の上にかすかな怒りを見せた。
隊商は出発した。沙漠は無限だった。駱駝《らくだ》の脚の下にむなしく砂が踏まれていると思うような日が幾日も続いた。太陽だけが日に一つずつ空に燃えて滓《かす》になった。
この広漠たる沙漠のなかを案内者は杖を振り先頭に立って道を進めた。自信のある足取で行路を指揮する権威ある態度の彼は立派な案内者だった。
砂丘の蔭に石で蓋《ふた》のしてある隠し水の在所も迷うことなく探し宛《あ》てた。太陽が中天に一休みして暑さと砂ほこりにみんなが倦《う》み疲れる頃を見はからい彼は唄をうたった。
[#ここから2字下げ]
いつか一度は
さかなになって
水のお城に水の酒
あの子と二人で水の蚊帳《かや》
ささやれ
涼しい
涼しい
[#ここで字下げ終わり]
するとみんなも声を揃えて、涼しい、涼しいと合せるのだった。そして唄う面白さを引出して呉れた彼に感謝の拍手をみんなが送る。と、彼は一応うれしそうな顔はするがその後でぽかんとひとり言のようにまたいうのだった。
「ほんとうの案内者は殺されてから案内する」
みんなは追々《おいおい》彼のこの言葉に何か神秘めくもののあるのに気を付け出した。
×××を出発してから十何日目かの午後だった。行手の蒼空《あおぞら》の裾が一点つねられて手垢《てあか》の痕《あと》がついたかと思う間もなくたちまちそれが拡がって、何百里の幅は黄黒い闇になってその中に数え切れぬほどの竜巻きが銀色の髭を振り廻した。頬に痛い熱砂。駱駝は意気地なく屈《かが》んで仕舞った。
さあ、誰か一人殺さねばならない。隊商の中のみんなが一度にそう思った。そして無気味な顔を見合せた。沙漠のなかで大風に遇うのは天神の怒に触れたものとして隊商のうちの一人を犠牲にして災難を免れるよう祷《いの》らね
前へ
次へ
全7ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング