闊《うかつ》に対して、むす子は、こんな荒い言葉で叱《しか》りながら、両手は絶えず軟くかの女の肩を持ち抱え、幼稚園のこどもにするような労《いたわ》り方をした。
「まるでむら[#「むら」に傍点]だ」そう云って、かの女の顎《あご》に固まった白粉《おしろい》を洋服の袖口《そでぐち》で擦《こす》って呉れたりした。いちばん困ったのは、かの女がよく××××をずり下げることだった。
「一郎さん、だめだめ」かの女は顔を赫《あか》くしながらそういうと、
「ちょっ、こんなお母さんて世界にありますかい。僕絶望しちゃうなあ」そう云いながら、そっと自分の陰にかくまって、カフェの××へ人に見つからぬよう送り込んで呉れた。
 その気持は手紙を通じて年々に変らぬのみか、ますます濃くなって来る。
 
 むす子の手紙の一――今お母さんの手紙受取りました。お母さんが自分の書いたものの世評に(たとえば先々月号の××に載ったような)超然としていると聞いて、すっかり安心しました。自分の中にある汗、垢《あか》、膿《うみ》、等を喜んで恥とせずに出して行くことが出来れば万々です。僕の書いた意味は、それによって受ける反動が、お母さんを苦しめて、ますます苦境に陥れることを心配したので、今となって超然とした、はっきりした態度を持っているお母さんなら心配しません。僕は巴里でお母さんと一緒に居た時も、「世評にくよくよするお母さんが一番嫌だ、ケチくさくって、女くさくって」とよく云いましたね。しかし、その汗や垢が余りくだらないうちは到達だとは云えませんよ。
 兎《と》に角《かく》、そういう心境に到ったということは祝福すべきことです。でも、本当にそうなれましたか?
 すべての自己満足を殺さねばなりません。まだまだお母さんは弱い。うちの者の愛に頼り過ぎるということは自己満足です。お父さんがお母さんに対する愛は大きいですが、お父さんの茫漠性《ぼうばくせい》が、かなりお母さんに害を与えていると思います。お父さんの茫漠性は長所であり短所であると思います。
 真当に今しまって貰わなければ困ります。
 小児性も生れつきでしょうが、やめにして下さい。自分の持っている幼稚なものを許して眺めていることは、デカダンです。自分の持っていないものこそ、務めて摂取すべきです。一度自分のものとなったら、そこから出る不純物、垢は常に排泄《はいせつ》するのです。

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