その人選は新吉の実家も中に含んで魚市場全体の利害に影響があった。
 新吉の留守中両親も歿《な》くなったあとの店を一人で預って、営業を続けている妻のおみち[#「おみち」に傍点]に取っては永い間離れていてこころの繋《つなが》りさえもう覚束なく思える新吉でもやっぱり頼みにせずにはいられなかった。彼女はそれで故国の事情にはうとくなっている夫から明確な指図は得られないのを承知でしじゅう用件だけ報じて来た。うっかり感情的のことを書いて、西洋へ行ってひらけた人になっている夫に蔑まれはしないかという惧《おそ》れもあった。彼女は手紙の文体を新吉の返事に似通わせてだん/\冷たく事務的にすることに努めた。新吉もその方を悦んで兎《と》も角《かく》彼女の手紙に一通り目を通すことだけはした。
 しかし今度の手紙には新吉に見逃されぬものがあった。それは文面の終《しま》いの方に同じ淡々とした書き方ではあるがこういうことが書いてあった。
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わたくし、此頃髪の前鬢《まえびん》を櫛《くし》で梳きますと毛並の割れの中に白いものが二筋三筋ぐらいずつ光って鏡にうつります。わたくしは何とも思いません。然し強い
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