事を言った。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
――たゞあの女の鋏《はさみ》がね。あの鮫《さめ》の腹いろに光る鋏がね。あなたもお隣りなら随分気をおつけなさい。もっともあの鋏の冴えが、あの女の衣裳芸術の天才の光なんだが……なんにしても男をいじめては男に逃げられるのが気の毒な女さ。」
[#ここで字下げ終わり]
 彼は終りを独言にして溜息をして訣《わか》れて行った。
 そういうこともあったので、ゆうべ新吉は折角の自分の巴里祭を夫人に乱されることを恐れて、どうして夫人を出し抜いたものかと、うと/\考えながら寝た。家へ帰らずにしまえばそれまでだが、それもなんだか卑怯に思えるし、夫人に気づかれて後の祟《たた》りも恐ろしかった。出来ることなら男らしくきっぱりと断って、あすの朝は一人で自分の家を出て行きたいものだと考え定めながら、いつか眠りに陥ったのであった。だが、段々部屋中を華やかに照らしだす日の光を眺めるとカテリイヌも、リサの送る娘も、ベッシェール夫人も全《す》べて、そんな事はどうでもよくなって来た。たゞ早く町の割栗石の鋪道に固いイギリス製の靴の踵《かかと》を踏み立てゝ西へ東へ歩き廻り
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