なって強く新吉の鼻に泌《し》みて来た。新吉は昨晩レストラン・マキシムで無暗にあおったシャンパンの酸味が爛《ただ》れた胃壁から咽喉元へ伝い上って来るのに噎《むせ》び返りながらテーブルの前へ起きて来た。吐気《はきけ》に抵抗しながら二三杯毒々しいほど濃い石灰色のキャフェを茶碗になみ/\と立て続けに飲んだ。吐気はどうやら納って、代りに少し眩暈《めまい》がするほどの興奮が手足へ伝わり出した。空は晴れている。昨日自分が張り渡した窓の装飾の綾模様を透して向う側の妾町の忍んだような、さゝやかな装飾と青い空の色と三色旗の鮮やかな色とが二つの窓から強い朝日に押し込まれて来たように、新吉の眼を痛いほど横暴に刺戟する。立たなければよくも見分けられぬが恐らくベッシェール夫人の屋根越しのエッフェル塔も装飾していることだろう。
 新吉は此の装飾の下に雑沓《ざっとう》の中でカテリイヌを探す自分のひと役を先ず頭に浮べたが次にリサがまたどういう工夫で今日の祭の街で自分に新らしい娘を送り届けるのか。自分につきまとうベッシェール夫人とそれがどう縺《もつ》れるか。考えると頭がすこし憂鬱になった。
 ゆうべはマキシムで偶然ベッシ
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