いと》り、コックに一人の女中ぐらい置いて夫婦の後年を閑居《かんきょ》しようという人達だ。
 ――店の跡《あと》を譲《ゆず》った人も素性《すじょう》はよし(もちろん売り渡したのだが)安心して引込《ひっこ》めますよ。この秋は邸《やしき》のまわりの栗の樹からうんと実もとれますし、来秋から邸についた葡萄《ぶどう》畑で素敵な新酒を造りますよ。どうぞおひまを見てお訪ね下さい。
 相手になっているのは、これも勤勉な隣街《となりまち》の大きな靴店のおやじだ。
 ひるひとときはひっそりとする巴里《パリ》。ひるのひとときが夜のひそけさになる巴里。秋は殊《こと》さらひそかになる昼だ。
 何処《どこ》か寂然《せきぜん》として、瓢逸《ひょういつ》な街路便所や古塀《こべい》の壁面にいつ誰が貼《は》って行ったともしれないフラテリニ兄弟の喜劇座のビラなどが、少し捲《めく》れたビラじりを風に動かしていたりする。
 ブーロウニュの森の一処《ひとところ》をそっくり運んで来たようなショーウインドウを見る。枯れてまでどこ迄《まで》もデリカを失わない木《こ》の葉のなかへ、スマートな男女|散策《さんさく》の人形を置いたりしている。
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