ハンチングを横っちょにかむり、何か腹掛《はらが》けのようなものを胸に当てたアイスクリーム屋のイタリー人が、いつか焼栗《やきぐり》売りに変《かわ》っている。とある街角《まちかど》などでばたばたと火を煽《あお》ぎながら、
 ――は、いらはい、いらはい、早いこと! 早いこと! アイスクリームの寒帯から早く焼栗屋の熱帯へ……は、いらはい、いらはい。
 空には今日も浮雲《うきぐも》が四抹《しまつ》、五抹。そして流行着のマネキンを乗せたロンドン通《がよ》いの飛行機が悠長《ゆうちょう》に飛んで行く。
 ――いよいよね。今月|一《いっ》ぱいで店を畳《たた》んで、はあ、ツール在の土となるまでの巣を見つけて買い取りましたよ。巴里にも三十年、まあ三十年もまめに働けばもう、楽に穴にもぐって行く時節《じせつ》が来たというものですよ。
 パッシー通りで夫婦|揃《そろ》って食料品店で働き抜いた五十五、六の男の自然に枯《か》れた声も秋風のなかにふさわしい。男は小金《こがね》を貯《た》めた。多くの巴里人のならわし通りこの男も老後を七、八十|里《り》巴里から離れた田舎《いなか》へ恰好《かっこう》な家を見付けて買取《か
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