美術大臣が周章《あわ》てて今度の持主に手紙で政府の保護を申出でた。するとやがて返事が来た。女文字で
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御心配御無用に御座候。この家は前持主に妾《わたし》が与えし愛の代償として譲られしものに御座候。ゆめゆめ粗略には致すまじく候。かしこ。
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    旧巴里の遺物

 オペラの辻を中心に、左右へ展開する大通《グランブールヴァル》とイタリー街のキャフェたちは、朝の掃除をしまって撒いた赭砂《あかすな》の一掴みを椅子やテーブルの足元に残している。ソーダの瓶と菓子|麺麭《パン》の籠とが縞のエプロンの上で日の光を受け止めている。短い秋を見限ってテラスの真ん中の丸暖炉と、角隅を囲う硝子屏風はもう季節の冬に対しての武装だ。
 乗合自動車《オートビユス》の轍《わだち》の地揺れのたびに落ちるマロニエやプラタアヌの落葉。
 テーブルの上へ、まだ活字が揮発油で濡れているパリ・ミデイの一版を抛り出して、キャフェの蕭条をまづ第一に味わいに来たのは Boulevardier《ブールブァルディエ》(界隈の人、或は大通漫歩《グランブルヴァル》の人と訳すべきか)と呼ばれている巴
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