、ちらりと動く。今日は彼は茶店の卓で酒を呑《の》んでいるのだ。私は手を振って、尾《つ》いて来ちゃいけないと合図すると、彼は笑って素直に再び酒を呑み出した。私は堤《つつみ》を伝《つた》って川上の方へ歩いて行った。
 長い堤には人がいなくて、川普請《かわぶしん》の蛇籠《じゃかご》を作る石だの竹だのが散らばっていた。私は寒いとも思わないのに岸に繋《つな》いである筏《いかだ》の傍には焚火《たきび》が煙《けむ》りを立てていた。すべてのものは濡《ぬ》れ色《いろ》をしていた。白い煙さえも液体に見えて立騰《たちのぼ》っていた。
 川上の上は一面に銀灰色《ぎんかいしょく》の靄《もや》で閉じられて、その中から幅の広い水の流れがやや濁《にご》って馳《は》せ下っていた。堤の崩《くず》れに板の段を補《おぎな》って、そこから桃畑に下りられるようになっている。私は、ここで見渡せる堤と丘陵《きゅうりょう》の間の平地一面と、丘陵の裾《すそ》三分の一ほどまで植え亙《わた》してある桃林《とうりん》が今を盛りに咲き揃《そろ》っている強烈な色彩にちょっと反感を持ちながら立ち止まった。だが、見つめていると、紅《あか》い一面の雲の
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