爽《さわや》かな充足を欲した。「もっと、とっぷりと浸《つ》かるような飲《のみ》ものはない?」「しとしとと、こう手で触《ふ》れるような音曲《おんぎょく》が聴《き》き度《た》いなあ。」母は遂々《とうとう》、匙《さじ》を投げた。
「男持ちの蝙蝠傘《こうもりがさ》を出して下さい。」「草履《ぞうり》を出して下さい。」「河を渡って桃を見に行くから。」私は必ずしも、男性に餓《う》えているというわけではなかった。渡しを渡った向岸《むこうぎし》の茶店《ちゃみせ》の傍《そば》にはこの頃毎日のように街の中心から私を尋《たず》ねて来る途中、画架《がか》を立てて少時《しばらく》、河岸《かし》の写生をしている画学生がいる。この美少年は不良を衒《てら》っているが根が都会っ子のお人好《ひとよ》しだった。
私は彼を後に夫にするほどだから、かなり好いてはいた。けれども、自分のその当時の欲求に照《てら》して、彼は一部分の対象でしかないのが、彼に対して憐《あわ》れに気の毒であった。
茶店の床几《しょうぎ》で鼠色《ねず》羽二重《はぶたえ》の襦袢《じゅばん》の襟《えり》をした粗《あら》い久留米絣《くるめがすり》の美少年の姿が
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