谷蓮生坊が念仏を抵当に入れたというその相手の長者の邸跡が今は水田になっていて、早苗《さなえ》がやさしく風に吹かれているのを見に寄ったり、島田では作楽井の教えて呉れた川越しの蓮台を蔵している家を尋ねて、それを写生したりして、大井川の堤に出た。見晴らす広漠とした河原に石と砂との無限の展望。初夏の明るい陽射しも消し尽せぬ人間の憂愁の数々に思われる。堤が一髪を横たえたように見える。ここで名代なのは朝顔眼あきの松で、二本になっている。私たちはその夜、島田から汽車で東京へ帰った。

 結婚後も主人は度々《たびたび》東海道へ出向いた中に私も二度ほど連れて行って貰った。
 もうその時は私も形振《なりふり》は関わず、ただ燻んでひやりと冷たいあの街道の空気に浸り度い心が急《せ》いた。私も街道に取憑《とりつ》かれたのであろうか。そんなに寂《さび》れていながらあの街道には、蔭に賑やかなものが潜んでいるようにも感じられた。
 一度は藤川から出発し岡崎で藤吉郎の矢矧《やはぎ》の橋を見物し、池鯉鮒《ちりう》の町はずれに在る八つ橋の古趾を探ねようというのであった。大根の花も莢《さや》になっている時分であった。
 そこ
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