はやや湿地がかった平野で、田圃《たんぼ》と多少の高低のある沢地がだるく入り混っていた。畦川が流れていて、濁った水に一ひらの板橋がかかっていた。悲しいくらい周囲は眼を遮《さえぎ》るものもない。土地より高く河が流れているらしく、やや高い堤の上に点を打ったように枝葉を刈り込まれた松並木が見えるだけであった。「ここを写生しとき給え」と主人が言うので、私は矢立を取出したが、標本的の画ばかり描いている私にはこの自然も蒔絵《まきえ》の模様のようにしか写されないので途中で止めてしまった。
 三河と美濃の国境だという境橋を渡って、道はだんだん丘陵の間に入り、この辺が桶狭間《おけはざま》の古戦場だという田圃みちを通った。戦場にしては案外狭く感じた。
 鳴海《なるみ》はもう名物の絞りを売っている店は一二軒しかない。並んでいる邸宅風の家々はむかし鳴海絞りを売って儲けた家だと俥夫《しゃふ》が言った。池鯉鮒よりで気の付いたことには、家の造りが破風《はふ》を前にして東京育ちの私には横を前にして建ててあるように見えた。主人は
「この辺から伊勢造りになるんです」
 と言った。その日私たちは熱田から東京に帰った。

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