配はしないようなものの、流石《さすが》にときどきは子供に学費ぐらいは送ってやらなければならぬ。
 作楽井は器用な男だったので、表具やちょっとした建具左官の仕事は出来る。自分で襖《ふすま》を張り替えてそれに書や画もかく。こんなことを生業《なりわい》として宿々に知り合いが出来るとなおこの街道から脱けられなくなり、家を離散さしてから二十年近くも東海道を住家として上り下りしていると語った。
「こういう人間は私一人じゃありませんよ。お仲間がだいぶありますね」
 やがて
「これから大井川あたりまでご一緒に連れ立って、奥さんを案内してあげたいんだが何しろ忘れて来た用事というのが壁の仕事でね、乾き工合もあるので、これから帰りましょう。まあ、御主人がついてらっしゃれば、たいがいの様子はご存じですから」
 私たちは簡単な食事をしたのち、作楽井と西と東に訣《わか》れた。暗い隧道がどこかに在ったように思う。
 私たちはそれから峠《とうげ》を下った。軒の幅の広い脊の低い家が並んでいる岡部の宿へ出た。茶どきと見え青い茶が乾してあったり、茶師の赤銅色の裸体が燻《くす》んだ色の町に目立っていた。私たちは藤枝の宿で、熊
前へ 次へ
全32ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング