羽、梅花を渡るうすら冷たい夕風に色褪《いろあ》せた丹頂の毛をそよがせ蒼冥《そうめい》として昏《く》れる前面の山々を淋しげに見上げて居る。私は果無《はかな》げな一羽の鶴の様子を観《み》て居るうちに途中の汽車で別れた麻川氏が、しきりに想《おも》われるのであった。「この鶴も、病んではかない運命の岸を辿《たど》るか。」こんな感傷に葉子は引き入れられて悄然《しょうぜん》とした。

 その年七月、麻川氏は自殺した。葉子は世人と一緒に驚愕《きょうがく》した。世人は氏の自殺に対して、病苦、家庭苦、芸術苦、恋愛苦或いはもっと漠然とした透徹した氏の人生観、一つ一つ別の理由をあて嵌《は》めた。葉子もまた……だが、葉子には或いはその全てが氏の自殺の原因であるようにも思えた。
 その後世間が氏の自殺に対する驚愕から遠ざかって行っても葉子の死に対する関心は時を経てますます深くなるばかりである。とりわけ氏と最後に逢った早春白梅の咲く頃ともなれば……そしてまた年毎に七八月の鎌倉を想い追懐の念を増すばかりである。
 また画家K氏のT誌に寄せた文章に依《よ》れば、麻川氏はその晩年の日記に葉子を氏の知れる婦人のなかの誰より
前へ 次へ
全59ページ中57ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング