三四年たった時分葉子が××誌から書かされたもので「麻川氏はその本性、稀《まれ》に見る稚純の士であり乍《なが》ら、作風のみは大人君子の風格を学び備えて居る為めにその二者の間隙《かんげき》や撞着矛盾《どうちゃくむじゅん》が接触する者に誤解を与える。」こんな意味のものだった。葉子がより多く氏を理解して来たと自信を持ち出した頃のものだった。
 汽車から降りてはっきりした早春の外光の中に立った氏の姿を葉子は更に傷ましく見た。思わず眼をそむけた。頭半分も後退した髪の毛の生え際から、ふらふらと延び上った弱々しい長髪が、氏の下駄|穿《ば》きの足踏みのリズムに従い一たん空に浮いて、またへたへたと禿げ上った額の半分ばかりを撫《な》で廻《ま》わす。
「あ、オバ○!」
 不意の声をたてたのは反対側の車窓から氏を見た子供であった。葉子は暗然として息を呑《の》んだ。
「すっかり、やられたんだな。」
 葉子の良人も独言のように云ったきり黙って居た。

 その日の夕刻、熱海梅林の鶴《つる》の金網前に葉子は停って居た。前年、この渓流に添って豊に張られた金網のなかに雌雄並んで豪華な姿を見せて居たのが、今は素立ちのたった一
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