の相違がある。それにしても或る人が或る人を云うのに、「自分はあの人に何年つき合って居る。」などとその人を知悉《ちしつ》して居るように云うのを聞くが、私には首肯出来ない。一昼夜のうちに或る一定時間に主客として逢《あ》ったとて要するにそれはその人にとって置きの対人的時間を選んで逢ったものに過ぎない。どんなに砕けて応対してもそれはその人のとって置きの時間内での知己である。麻川氏のような見栄坊《みえぼう》な性格の人はなおさら、どんな親しい友人間としても全部の武装を解除しては逢って居まい。たとえ短時日でも隣人として朝夕の不用意のうちにその人の多方面を見ることは、主客、友人として特定時間内に何年逢って居るよりも何程か多くその人の表裏全幅を知悉し得ると云えよう。私はもはや二十日以上も、麻川氏と壁一重を隔てたばかりの生活を過した。私は、通常の客や友人同志の知らない「不用意の氏」を随分|観《み》た。或る朝、氏が帯の端を垂らしてだらしなく廊下を歩いて便所に行く後姿。誰も居ない洗面所の鏡の前へ停って舌を出したり額を撫《な》でたり、はては、にやにや笑い、べっかっこ[#「べっかっこ」に傍点]をした顔を写し、それ
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