書いて居る様子だった。私達も一寸《ちょっと》海岸へ行って帰って来ると主人は昼寝、従妹《いとこ》は縫物私は読書ばかりして暮らした。夕方、先日海岸で紹介されたT氏の弟が私の部屋へ遊びに来た。プロレタリア文学雑誌「種|蒔《ま》く人」の同人で二十五歳、病弱な為めW大学中途退学の青年だが病身で小柄でも声が妙にかん高で元気に話す男だ。殆《ほとん》どわめく様にマルクスだとかレーニンだとか談論風発を続け、はては刻下の文壇をプチブル的、半死蛇等と罵《ののし》り立てる。十時近い頃青年は病的なりに生々した顔付きで兄の家へ帰って行った。帰り際に青年は少しおどけた顔付きで「あ、しまった、お隣にゃあアサ、ソウ(麻川荘之介の略称)が居たんだな。」と苦笑した。寝ようとして居る処へ母屋へ遊びに行って居た従妹が帰って来た。お駒婆さんも一緒だ。「あのね、麻川さんが、晩のお食事後、こっちにお客さんの居るうちじゅうお部屋の壁の外に椅子《いす》を運んでじっとして腰のかけづめでしたよ。こちらのこと、何か立ち聞でもしてたんじゃありませんか。」と告げ口する。主人は、「そうかい。」と云ったきりだった。私は告げ口した婆さんにも麻川氏にも何
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