ルで顔を拭《ふ》き終えて私の顔を正面から見た。眼が少し血走って居る。氏は「は、」と一つ声を句切って、「ではまた午後、………昼前は原稿を書きます。」と云って叮嚀《ていねい》にお辞儀をして部屋に入って行った。
 午後わあわあと大声を立てる若い女が麻川氏の部屋へ来たようだ。夕方、恰好《かっこう》の好い中背の若い女の洋装姿が麻川氏の部屋から出て庭芝を踏んで帰るのを見かけた。横顔が少し下品だが西洋の活動女優のような線を見せた。「大川宗三郎君(作者註、大川氏は麻川氏の先輩で、その頃有名な耽美派《たんびは》作家とも悪徳派作家とも呼ばれて居た。)の妻君の妹ですよ。赫子ってお転婆さんですよ。」と藤棚の下で麻川氏が云った。番頭さんのような若い男が縁側で私の顔をうかがって居る。掃除した煙草盆《たばこぼん》を座敷に持って来たH屋譜代の婆やお駒さんは開けっぱなしの声で「へへえ、あれが大川さん御自慢の妹さんですか。」麻川氏は苦っぽく微笑して云った「別に自慢でも無いだろうが、細君より気軽に何処へでも連れて行ける女だからな。」「奥さんは日本風の顔立ちのおとなしい美人でしょう、妹さんは違いますね。」と私。麻川氏の番頭さ
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