その事は無くなつて、門の蔦の芽は摘まれた線より新らしい色彩で盛んに生え下つて来た。初蝉《はつぜみ》が鳴き金魚売りが通る。それでも子供の声がすると「また、ひろ子のやつが――」と呟《つぶや》きながらまき[#「まき」に傍点]は駆け出して行つた。
 子供たちは遊び場を代へたらしい。門前に子供の声は聞えなくなつた。老婢《ろうひ》は表へ飛出す目標を失つて、しよんぼり見えた。用もなく、厨《くりや》の涼しい板の間にぺたんと坐《すわ》つてゐるときでも急に顔を皺《しわ》め、
「ひろ子のやつめ、――ひろ子のやつめ、――」
 と独り言のやうに言つてゐた。私は老婢がさん/″\小言《こごと》を云つたやうなきつかけで却《かえ》つて老婢の心にあの少女が絡《から》み、せめて少女の名でも口に出さねば寂しいのではあるまいかとも推察した。
 だから、この老婢がわざ/\幾つも道を越える不便を忍んで少女の店へ茶を求めに行く気持ちも汲《く》めなくはなく、老婢の拙《つた》ない言訳も強《し》ひて追及せず
「さう、それは好い。ひろ子も蔦をむしらなくなつたし、ひいき[#「ひいき」に傍点]にしておやり」
 私の取り做《な》してやつた言葉に調
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