その事は無くなつて、門の蔦の芽は摘まれた線より新らしい色彩で盛んに生え下つて来た。初蝉《はつぜみ》が鳴き金魚売りが通る。それでも子供の声がすると「また、ひろ子のやつが――」と呟《つぶや》きながらまき[#「まき」に傍点]は駆け出して行つた。
子供たちは遊び場を代へたらしい。門前に子供の声は聞えなくなつた。老婢《ろうひ》は表へ飛出す目標を失つて、しよんぼり見えた。用もなく、厨《くりや》の涼しい板の間にぺたんと坐《すわ》つてゐるときでも急に顔を皺《しわ》め、
「ひろ子のやつめ、――ひろ子のやつめ、――」
と独り言のやうに言つてゐた。私は老婢がさん/″\小言《こごと》を云つたやうなきつかけで却《かえ》つて老婢の心にあの少女が絡《から》み、せめて少女の名でも口に出さねば寂しいのではあるまいかとも推察した。
だから、この老婢がわざ/\幾つも道を越える不便を忍んで少女の店へ茶を求めに行く気持ちも汲《く》めなくはなく、老婢の拙《つた》ない言訳も強《し》ひて追及せず
「さう、それは好い。ひろ子も蔦をむしらなくなつたし、ひいき[#「ひいき」に傍点]にしておやり」
私の取り做《な》してやつた言葉に調子づいたものか老婢は、大びらでひろ子の店に通ひ、ひろ子の店の事情をいろ/\私に話すのであつた。
私の家は割合に茶を使ふ家である。酒を飲まない家族の多くは、心気の転換や刺激の料に新らしくしば/\茶を入れかへた。老婢は月に二度以上もひろ子の店を訪ねることが出来た。
まき[#「まき」に傍点]の言ふところによるとひろ子の店は、ひろ子の親の店には違ひないが、父母は早く歿《ぼっ》し、みなし児《ご》のひろ子のために、伯母《おば》夫婦が入つて来て、家の面倒をみてゐるのだつた。伯父は勤人《つとめにん》で、昼は外に出て、夕方帰つた。生活力の弱さうな好人物で、夜は近所の将棊所《しょうぎしょ》へ将棊をさしに行くのを唯一の楽しみにしてゐる。伯母は多少気丈な女で家の中を切り廻すが、病身で、とき/″\寝ついた。二人とも中年近いので、もう二三年もして子供が出来ないなら、何とか法律上の手続をとつて、ひろ子を養女にするか、自分たちが養父母に直るかしたい気組みである。それに茶店の収入も二人の生活に取つては重要なものになつてゐた。
「可哀《かわい》さうに。あれで店にゐると、がらり変つた娘になつて、からいぢけ切つてるのでご
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