ん(従弟は私のことをこういい慣わしていた)のように今どき大時代な悠長なことは考えていませんが、しかし、肉体的情感でも、全然肉体に移して表現して仕舞うときには、遅かれ早かれその情感は実になることを急ぐか、咲き凋《しぼ》んで仕舞うかするに決ってることだけは知っています。つまり、結婚へ急ぐか、飽満して飽きて仕舞うか、どっちかですね。そこで恋愛の熱情は肉体に移さずなるだけ長く持ちこたえ、いよいよ熱情なんかどうでも人間愛の方へ移ったころに結婚なり肉体に移せば好い、どういうものか女というものは先を急ぎます。不安らしいですね。私がそういう道を骨を折って歩いて行くと彼女らは僕を疑ったり、或《あるい》は焦れて自棄《やけ》を起して仕舞います。一人の娘などはそのために自殺するとまでいいました。僕は熟々《つくづく》世の中の女に絶望して仕舞いました。女はじき片付けたがる。つまり打算の距離が短いんですね。
 栖子は恋愛の熱情をそのまま実際的な結婚に移して失敗しただけにややこの道を解した女でした。だがかの女は人妻という位置から論理的に考えて『これからお互に真当の姉弟になりましょうね』と月並なことをいい始めたんです。
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