じゃありませんか」
 千代重は顔を振ってそれを除けると、ハンカチは地上に落ちた。栖子が立ち上って逃げ出した時の丸い白い踵や、細い胴に縊《くび》れ込まして締た、まだ娘々した帯つきが妙に千代重を焦立たしくした。
 彼はちょっと意地悪く唇を笑い歪めながら、
「園芸家の妻がこれんばかしの虫を怖がって、我儘過ぎるよ。ちと慣れるようにし給《たま》え」
 彼は掌を突き出して栖子を逐《お》った。
「いけない。傍へ来ちゃ――」
 花やかな乱れた姿が古畳を蹴ってよじれ飛んだ。軽い埃が立って襖ががたがたいった。
 千代重は残忍な興味を嵩じさせて、とうとう部屋の隅まで栖子を逐いつめた。千代重はここでその脅迫を一層効果的にしようと考えた。
「栗の虫だの、桃の虫だのって、すべて毒になるものじゃないよ。僕は田舎で育ったからよく知ってるが、柳の虫なんか子供の薬になるっていう位だ。一つ見せしめに僕がこの虫を食べて見せましょう」
 千代重は掌の上へ開けた口を臨ましてちらりと栖子を見上げた。絶体絶命の表情をしていた栖子の眼の色がキラリと光った。あわや持って行きかけた千代重の左の手首を、突然かの女の両手が飛び出して握り締た。
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