青く擦《す》れてなはると蔭口を利きながら、この古都の風雅の社会は、彼の前に廻《まわ》っては刺激と思い付を求めねばならなかった。彼の人気は恢復《かいふく》した。三曲の演奏にアンコールを許したり、裸体彫像に生花を配したり、ずいぶん突飛なことも彼によって示唆されたが、椅子《いす》テーブルの点茶式や、洋食を緩和して懐石の献立中に含めることや、そのときまで、一部の間にしか企てられていなかった方法を一般に流布せしめる椽《えん》の下の力持とはなった。彼は、ところどころで「先生」と呼ばれるようになった。
 彼はこの勢を駆って、メーゾン檜垣に集る若い芸術家の仲間に割り込んだ。彼の高飛車と粗雑はさすがに、神経のこまかいインテリ青年たちと肌合いの合わないものがあった。彼は彼等を吹き靡《なび》け、煙に巻いたつもりでも最後に、沈黙の中で拒まれているコツン[#「コツン」に傍点]としたものを感じた。それは何とも説明し難いものではあるが彼をして現代の青年の仲間入りしようとする勇気を無雑作に取拉《とりひし》ぐ薄気味悪い力を持っていた。彼は考えざるを得なかった。
 春の宵であった。檜垣の二階に、歓迎会の集りがあった。女流歌人で仏教家の夫人がこの古都のある宗派の女学校へ講演に頼まれて来たのを幸、招いて会食するものであった。画家の良人《おっと》も一しょに来ていた。テーブルスピーチのようなこともあっさり切上がり、内輪で寛《くつろ》いだ会に見えた。しかし鼈四郎《べつしろう》にとってこの夫人に対する気構えは兼々雑誌などで見て、納らぬものがあった。芸術をやるものが宗教に捉《とら》われるなんて――、夫人が仏教を提唱することは、自分に幼時から辛い目を見せた寺や、境遇の肩を持つもののようにも感じられた。とうとう彼は雑談の環の中から声を皮肉にして詰《なじ》った。夫人が童女のままで大きくなったような容貌《ようぼう》も苦労なしに見えて、何やら苛《いじ》め付けたかった。
 夫人はちょっと無礼なといった面持をしたが、怒りは嚥《の》み込んでしまって答えた、「いいえ、だから、わたくしは、何も必要のない方にやれとは申上ちゃおりません」鼈四郎は嵩《かさ》にかかって食ってかかったが、夫人は「そういう聞き方をなさる方には申上られません」と繰返すばかりであった。世間知らずの少女が意地を張り出したように鼈四郎にはとれた。
 一時白けた雰囲気の空虚も、すぐまわりから歓談で埋められ、苦り切り腕組をして、不満を示している彼の存在なぞは誰も気付かぬようになった。彼の怒りは縮れた長髪の先にまでも漲《みなぎ》ったかと思われた。その上、彼を拗《こじ》らすためのように、夫人は勧められて「京の四季」かなにかを、みんなの余興の中に加って唄《うた》った。低めて唄ったもののそれは暢《のび》やかで楽しそうだった。良人の画家も列座と一しょに手を叩《たた》いている。
 すべてが自分に対する侮蔑《ぶべつ》に感じられてならない鼈四郎は、どんな手段を採ってもこの夫人を圧服し、自分を認めさそうと決心した。彼は、檜垣の主人を語って、この画家夫妻の帰りを待ち捉え、主人の部屋の画室へ、作品を見に寄って呉《く》れるよう懇請した。その部屋には鼈四郎の制作したものも数々置いてあった。
 彼は遜《へりくだ》る態度を装い、強いて夫人に向って批評を求めた。そこには額仕立ての書画や篆額《てんがく》があった。夫人はこういうものは好きらしく、親し気に見入って行ったが、良人を顧みていった。「ねえ、パパ、美しくできてるけど、少し味に傾いてやしない?」良人は気の毒そうにいった。「そうだなあ、味だな」鼈四郎は哄笑《こうしょう》して、去り気ない様子を示したが、始めて人に肺腑《はいふ》を衝《つ》かれた気持がした。良人の画家に「大陸的」と極《き》めをつけられてよいのか悪いのか判《わか》らないが、気に入った批評として笑窪《えくぼ》に入った檜垣の主人まで「そういえば、なるほど、君の芸術は味だな」と相槌《あいづち》を打つ苦々しさ。
 鼈四郎は肺腑を衝かれながら、しかしもう一度|執拗《しつよう》に夫人へ反撃を密謀した。まだ五六日この古都に滞在して春のゆく方を見巡《みめぐ》って帰るという夫妻を手料理の昼食に招いた。自分の作品を無雑作に味と片付けてしまうこの夫人が、一体、どのくらいその味なるものに鑑識を持っているのだろう。食もので試してやるのが早手廻《はやてまわ》しだ。どうせ有閑夫人の手に成る家庭料理か、料理屋の形式的な食品以外、真のうまいものは食ってやしまい。もし彼女に鑑識が無いのが判ったなら彼女の自分の作品に対する批評も、惧《おそ》れるに及ばないし、もし鑑識あるものとしたなら、恐らく自分の料理の技倆《ぎりょう》に頭を下げて感心するだろう。さすればこの方で夫人は征服でき、夫人をして自分を認
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