た義務的な声ではなくなり、本当に直助自身のかの女を呼ぶ熱情がこもつて来る。直助がかの女を秘《ひそ》かに想《おも》つて居ることを、かの女はだん/\近頃知るやうになつて居た。だが、かの女はそのことを深く考へようとしなかつた。身辺に何か頼母《たのも》しい者が自分を見守つてゐて呉《く》れる安心に似た好意を感じてゐれば好いと思つて居た。かの女の生理的に基因するものか、その頃のかの女は人間的な愛情や熱情がむしろ厭《いと》はしかつた。
かの女の十一の歳から足かけ六年、今年二十二になる直助は地主であるかの女の家の土地台帳整理の見習ひとして、律儀な農家の息子の身を小学校卒業後間もなく、三里離れた山里から、都会に近いかの女の家に来て、子飼ひからの雇ひ男となつたのである。直助は地味な美貌《びぼう》の若者だ。紺絣《こんがすり》の書生風でない、縞《しま》の着物とも砕けて居ない。直助はいつも丹念な山里の実家の母から届けて寄越《よこ》す純無地木綿の筒袖《つつそで》を着て居た。
直助は秘《ひそ》かにかの女を慕つてゐるらしかつたが、黙つて都の女学校へ通ふかの女の送り迎へをして、朝は家からの淋《さび》しい道を河の畔《
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