る。粋人にはなりたくないものだ。粋人といふものは贅沢の情夫ではあつても贅沢の正妻ではあり得ない。彼等は贅沢と正式に結婚する費用と時間と無駄を惜しむ。われわれは惜《おし》まない。月並そのものがいかにわれわれの趣味に対して無益であり徒労であると十分承知しながら、黙つてそれをやる。月並は遊びに奉仕する人の一度は払ふべき税だ。基礎教育だ。われわれは遊びに対して速成科を望まない。速成科といふものは働いて急いで金を儲《もう》けようとする思想の人間が起した後の教育法だ。たぶんあの産業改革が発明した殺風景の中の一つだらう。」
ふはりと隣家の破風《はふ》を掠《かす》めて鴎《かもめ》が一つ浮いて出た。青み初めた空から太陽がわづかに赤い鱗《うろこ》を振り落した。まじめな朝が若い暁《ごぜん》と交代する。
セーヌの鴎はやつぱり身体の中心を河へ置いて来たといふ格好で戻つて行くのをすねるやうに庭の池が睨《にら》み上げる。石楠花《しゃくなげ》の雪が一ばんさきに雫《しずく》になりかけた。
侯爵は鴎の影がなくなつたのでまた安心して樺《かば》色の実に嘴《くちばし》を入れ出した小|鵯《ひよどり》に眼をやりながら言葉を続
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