いが食卓のまわりに立ち籠《こ》めるほど、わたくしはいよいよ感傷的になった。十八年の永い間、逸作に倣ってわたくしは実家のいかな盛衰にもあらわな情を見せまいとし、父はまた、父の肩に剰《あま》る一家の浮沈に力足らず、わたくしの喜憂に同ずることが出来なかった。若き心を失うまいと誓ったわたくしと逸作との間にも、その若さと貧しさとの故に嘗《かつ》て陥った魔界の暗さの一ときがあった。それを身にも心にも歎《なげ》き余って、たった一度、わたくしは父に取り縋《すが》りに行った。すると父は玄関に立ちはだかったまま「え――どうしたのかい」と空々しく言って、困ったように眼を外らし、あらぬ方を見た。わたくしはその白眼勝ちの眼を見ると、絶望のまま何にもいわずに、すぐ、当時、灰のように冷え切ったわが家へ引き返したのであった。
 それが、通夜の伽《とぎ》の話に父の後妻がわたくしに語ったところに依ると、
「おとうさんはお年を召してから、あんたの肉筆の短冊を何処かで買い求めて来なさって、ときどき取出しては人に自慢に見せたり自分でも溜息《ためいき》をついては見ていらっしゃいました。わたしがあのお子さんにお仰《っ》しゃったら幾
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