なさを現して来た。眼はうつろに斜め上方を見ながら謡うような小声で呟《つぶや》き出した。
「奥さまのかの子さーん」
わたくしは不思議とこれを唐突な呼声とも思わず、木霊《こだま》のように答えた。
「お雛妓さんのかの子さーん」
二三度、呼び交わしたのち、雛妓とわたくしはだんだん声を幽《ひそ》めて行った。
「かの子さーん」
「かの子さーん」
そして、その声がわたくしの嘗《かつ》て触れられなかった心の一本の線を震わすと、わたくしは思わず雛妓の両手を執った。雛妓も同じこころらしく執られた両手を固く握り返した。手を執り合ったまま、雛妓もわたくしも今は惜しむところなく涙を流した。
「かの子さーん」
「かの子さーん」
涙を拭《ぬぐ》い終って、息をたっぷり吐いてからわたくしは懐かし気に訊《き》いた。
「あんたのお父さんはどうしてるの。お母さんはどうしているの。そしてきょうだいは」
すると雛妓は、胸を前へくたり[#「くたり」に傍点]と折って、袖《そで》をまさぐりながら、
「奥さま、それをどうぞ訊かないでね。どうせお雛妓なんかは、なったときから孤児なんですもの――」
わたくしは、この答えが殆ど逸作
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