いた。
 この話を後に聴いて、逸作は後悔の念と共に深く心に決したものがあるようであった。「おまえと息子には屹度《きっと》、巴里《パリ》を見せてやるぞ」と言った。恩怨《おんえん》の事柄は必ず報ゆる町奴《まちやっこ》風の昔気質《むかしかたぎ》の逸作が、こう思い立った以上、いつかそれが執り行われることは明かである。だが、すべてが一家三人|珠数繋《じゅずつなが》りでなければ何事にも興味が持てなくなっているわたくしたちの家の海外移動の準備は、金の事だけでも生やさしいものではなかった。それを逸作は油断なく而《しか》も事も無げに取計いつつあった。
「いつ行かれるか判らないけれど、ともかくそのための侘住居《わびずまい》よ」
 わたくしは雛妓《おしゃく》に訳をざっと説明してから家の中を見廻《みまわ》して、「ですからここは借家よ」と言った。
 すると雛妓は、
「あたしも、洋行に一緒に行き度《た》い。ぜひよ。ねえ、奥さん。先生に頼んでよ」
 と、両手でわたくしの袂《たもと》を取って、懸命に左右へ振った。
 この雛妓は、この前は真面目《まじめ》な嫁になって身の振り方をつけ度いことを望み、きょうはわたくしたちと
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