にあった絵団扇《えうちわ》を執って、けろりとして二人に風を送りにかかった。その様子はただ鞣《なめ》された素直な家畜のようになっていた。
 今度は、わたくしの方が堪《たま》らなくなった。いらっしゃいいらっしゃいと雛妓を膝元《ひざもと》へ呼んで、背を撫《な》でてやりながら、その希望のためには絶対に気落ちをしないこと、自暴自棄を起さないこと、諄々《じゅんじゅん》と言い聞かした末に言った。
「なにかのときには、また、相談に乗ってあげようね、決して心細く思わないように、ね」
 そして、そのときであった。雛妓が早速あの小さい化粧鞄《けしょうかばん》の中から豆手帳を取り出してわたくしの家の処書きを認《したた》めたのは。
 その夜は、わたくしたちの方が先へ出た。いつも通り女中に混って敷台へ送りに出た雛妓とわたくしとの呼び交わす声には一層親身の響きが籠《こも》ったように手応えされた。
「奥さまのかの子さーん」
「お雛妓さんのかの子さーん」
「かの子さーん」
「かの子さーん」
 わたくしたちは池畔の道を三枚橋通りへ出ようと歩いて行く。重い気が籠った闇夜《やみよ》である。歩きながら逸作は言った。
「あんなに
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