きょうの月です」と、それが談林の句であるとまでは知らないらしく、ただこの句の捨《な》げ遣《や》りのような感慨を愛して空を仰いで言った。
 結婚から逸作の放蕩《ほうとう》時代の清算、次の魔界の一ときが過ぎて、わたくしたちは、息も絶え絶えのところから蘇生《そせい》の面持で立上った顔を見合した。それから逸作はびび[#「びび」に傍点]として笑いを含みながら画作に向う人となった。「俺は元来うつろの人間で人から充《み》たされる性分だ。おまえは中身だけの人間で、人を充たすように出来てる。やっと判った」とその当時言った。
 それから十余年の歳月はしずかに流れた。逸作は四十二の厄歳も滞りなく越え、画作に油が乗りかけている。「おとなしい男、あたくしのために何もかも尽して呉《く》れる男――」だのにわたくしは、何をしてやっただろう。小取り廻《まわ》しの利かないわたくしは、何の所作もなく、ただ魂をば、愛をば体当りにぶつけるよりしかたなかった。例えそれを逸作は「俺がしたいと思って出来ないことを、おまえが代ってして呉れるだけだ」と悦ぶにしても、ときには世の常の良人《おっと》が世の常の妻にサービスされるあのまめまめし
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